蝶と槍 2014/8/11-14

8/10(日) 帰阪

台風11号に追われながら新幹線で帰郷。久しぶりのI駅は大規模な改装中で仮の出入口が設置されていた。サッポロビールの工場跡地にR大学が新校舎を建設中で、それにともない駅前を再開発している最中のようだ。金持ち大学はやることがでかい。


8/11(月) 出発

上高地までの交通手段は、新大阪発の深夜23時過ぎのバスなので、昼間に梅田で買い出し。駅ビルで好日山荘を探すも、どうやら移転した模様。ネットで調べると、「グランフロント大阪」とかいう聞いたことのないビルに新店舗がオープンしているらしい。高架をくぐってウメキタへ。かつての広大な操車場跡地は小綺麗な巨大ビル郡に変貌していた。なんだか大阪らしくない。


好日山荘では防水袋とショートスパッツとペグを購入。今回の山行は雨が予想されるので70Lのパックライナーも購入。ゴミ袋に100均フードクリップでもよかったか。ヨドバシで実家で使うwifiルーターを買って帰宅。パッキングを済ませ、夕食を終えると、バスの時間が迫ってきたので、wifiの設定は北アから帰ってからすることして実家を出発。


今回はもともと、福岡で知り合った山仲間と「岳沢〜奥穂〜涸沢」を小屋泊まりの1泊2日でピークハントする予定だったので、テント泊のつもりは無かった。しかし、台風のため、急遽日程をずらして、単独で北アを3泊4日で回ることにした。そのため、直前になってせっかくならテント泊にしようと考え直したこともあり、装備が結構いいかげんになってしまった。


60Lのザックを背負い、深夜I駅に向かう。台風の影響で電車がやや遅れたが、無事出発時刻の20分ほど前に新大阪のバスターミナルに着いた。「さわやか信州号」の乗り場には、すでにザックが10個ほど並んでおり、カラフルな登山ウエアに身を固めた連中がたむろしていた。バス停の少し先に見つけたコンビニで一服し、バスに乗り込む。


行きのバスは4列シートだ。普通の観光バスでトイレも付いていない。事前にHPで調べて存在すると思っていたコンセントも無く、わりと失望した。隣は黒縁メガネの若者。ブックリーダーで読書をしている。バックライトが眩しい。京都駅で2、3人が乗り込み、一路信州へ。窓側だったものの、窓側の肘置きが無いため、異様に寝づらい。首が痛い。腰も痛い。全然寝れない!2時間ごとにSAで休憩があり、そのたびに、真っ先飛び出し、体を伸ばす。どうやら自分は夜行バスには向いていないようだ。結局ほとんど寝れないままに、夜が白んできた。トータルで1時間も寝ていないだろう。


8/11(火) 上高地蝶ヶ岳

上高地で下車すると予想通り小雨が降っていた。穂高連峰があると思われる方面にはガスがかかっており何も見えない。小腹が空いていたので、売店でおにぎりとコーヒーを買う。上高地では原則ゴミはすべて持ち帰ることになっているが、売店で買った商品のゴミに限って購入店で回収してくれる。「3泊4日:蝶ヶ岳常念岳大天井岳槍ヶ岳上高地」というかなり無理めかつ欲張りな計画の登山届を提出し、カッパを着込んで、河童橋方面に向かう。


河童橋は早朝の小雨模様にも関わらず、登山者でごった返していた。梓川は普段よりも水嵩が増しているようだったが、それでも青く澄んでいた。絵葉書写真を撮り、先を急ぐ。蝶ヶ岳の登山口のある徳沢までは、ほぼフラットな道だった。所々、水たまりができており、歩きづらかったものの、なかなか快適な道。


道の脇にあるキャンプサイトでは雨の中、朝餉の用意をしているキャンパーたちの姿が見えた。途中、明神館という休憩ポイントで一服&トイレ。クマ目撃情報の張り紙が目についた。やはりここは本州なんだ。1時間半ほどで徳沢到着。元牧場だという広いテント場には4、5張のテントがあった。徳沢園の軒にザックを置き、テント場の横にある綺麗なトイレで朝の用達。ザックの元へ帰ってくると雨が強くなりだした。


雨の中、徳沢園の裏手から、蝶ヶ岳に続く長塀尾根に登り始める。カッパとスパッツとザックカバーのフル装備。なるべくゆっくり登ることを心がける。登り始めてすぐ大きなザックを背負った若者2人に抜かれる。10分ほど登ると、登山道の脇で先ほどの若者たちがザックをおろして、ハアハア言いながら大休止をしている。どうやらペース配分を間違えたようだ。彼らとはその後山頂まで会うことはなかった。


長塀尾根は噂通りの急登。樹林帯で薄暗く、たまに開けていてもガスで何も見えない。寝不足と雨と久しぶりのテント泊装備で死にそうになる。高度が上がるにつれて、気温も下がり、止まっていると、大量にかいた汗が冷えて異常に寒い。このままだと低体温症になるかもなあと思い、行動食やレーズンパンを食べて、体内からの発熱を促す。


途中、10坪ほどの平場があり、休憩をしていると少しだけ陽が差し込んてきて気持ちがやわらいだ。ダブルストックの若者に抜かれ、急登の所で先に見えた登山者たちには追いつけず、一人ゆっくりとしたペースで登る。3時間45分かけてようやく長塀山山頂に到着。山頂といっても三角点があるだけの通過点のような場所だ。


大休止をし、蝶ヶ岳山頂を目指す。クルマユリの咲く池を過ぎると、急に植生が変わり、ハイマツなど背丈の低い木々ばかりになった。足元もガレ場になり、パッと視界が開けた。強烈な風。どうやら山頂はもうすぐのようだ。風に体を煽られながら、ガレ場を上がり、木製の杭のある山頂に到着。近くにあるはずの山小屋はガスで見えない。とりあえず写真をとって小屋方面に向け稜線を歩く。重いザックを背負っているにも関わらず、谷から吹き上げてくる突風に飛ばされかける。一瞬、ガスの切れ目に赤い屋根が見えた。


どうやら50m先ぐらいに蝶ヶ岳ヒュッテがあるようだ。しばらくするとサーッとガスが晴れ、小屋の全貌があらわになった。雲間に浮かぶ、山小屋独特の増築に増築を重ねたいびつな外観は、ラピュタに出てくる炭鉱町の風景を思わせた。いつの間にか目の前に登山者が数名現れた。近くのテント場では、この突風のなかテントを張ろうとしている人たちが数名いた。自分は小屋に泊まると固く決意する。小屋に入ると、受付には列ができていた。おそらく安曇野方面か常念方面から来た登山者たちだろう。


一泊一食、翌日の弁当付きで9500円。高い!先に受付を済ませた50歳ぐらいのおじさんと一緒にテキパキと部屋へ案内される。小屋の従業員は大学生のバイトのようだ。二段ベッドの一番奥のスペース。幸いにも部屋の端っこだ。そのおじさんと正方形の布団を分け合うかたちの寝床。彼もテント泊の予定だったようだが、強風のため小屋泊にしたそうだ。お互い初の小屋泊。彼は大阪の泉南出身で、結構気さくにいろいろと話しをすることができた。


頭痛と寒気がするので、とりあえず、自炊スペースで棒ラーメンとコーヒーを作る。身体のなかから温まりたい。談話スペースには石油ストーブもあったが、常連らしき連中が専有し、お互いに山行自慢を交わしていた。うーんこういう雰囲気はどうも苦手だ。となりのおじさんと大阪の山やこれからの山行計画などを話していたが、頭が割れそうに痛かったので、13時過ぎに仮眠をとることにした。どうやら高度障害が出たようだ。すこし吐き気もした。


「バルバルバル!」と異常にでかい音で目が覚める。ちょうど就寝スペースの裏手がヘリの発着場になっており、この強風のなか3回ほど荷物の搬入・搬出をしていた。強風に煽られて、小屋にヘリが激突しないだろうかと恐れつつ、再び眠る。気が付くと17時前だった。17時半からの夕食のため食堂に向かう。長机に8人ぐらいが相席。おかずが豊富なウマそうな飯。御飯と味噌汁はそれぞれ、おひつと鍋に近い席の人が配膳してくれた。ありがたい。


食後、小屋の周りを散歩する。テント場のテントが増えていた。となりのおじさんが「俺もテント泊にすればよかったなー」と後悔していた。「そうですねー」と頷きつつ、内心小屋泊で良かったと思う。頭痛もまだ治らないので、18時半頃には眠りについた。


8/12(水) 蝶ヶ岳〜殺生ヒュッテ

5時過ぎ起床。おとなりさんはすでに起きていたようで、パッキングも完了していた。自分はだらだらと過ごす。自炊場でコーヒーを淹れ、体を温める。乾燥室に吊るしていた服はほとんど乾いていなかった。特に乾燥設備が有るわけではないスペースなので仕方がない。出発準備を整え、常念方面に向かう稜線を歩く。昨日の段階で横尾に下りることを決めていたので足取りは軽い。常念方面はガスっていた。


30分ほどで、横尾に下りる分岐に到着。ここからひたすら樹林帯を下る。長塀尾根以上に変化がなく単調な道。所々道が川になっている。登りには使いたくない感じ。途中、5組ほどの登山者とすれ違う。ずいぶん下の方で、ビニール傘をさした軽装の欧米人ファミリーと遭遇。大丈夫だろうか。英語ができれば助言でもしたのだが。槍見台というポイントからうっすらと槍が見えた。遠い。


横尾に下りると、雨が本降りになりだした。涸沢方面と槍ヶ岳方面の分岐点となる横尾は登山客で賑わっていた。自販機でジュースを飲んで、槍ヶ岳方面に向かう。今日はとりあえず、槍沢ロッヂに泊まるか、ババ平でテント泊をするつもりだ。雨にもかかわらず、梓川沿いの登山道を多くのハイカーが槍方面に向かっていた。一ノ俣、ニノ俣というポイントで橋で渡ると、徐々に勾配がでてきた。


キツイなあと思いつつ、どこかで昼飯の弁当を食べねばと考えているうちに、槍沢ロッヂに到着。ロッヂ前のベンチにザックを下ろして、水補給と一服。雨が降っているためか、小屋内の休憩所は混雑していた。そのまま外のベンチに腰掛け、雨に打たれながら蝶ヶ岳ヒュッテで買った弁当を食べる。やたらでかいおにぎり2つとウィンナーと独特な風味の魚のフライ。川魚かも知れない。


周囲を見渡すと、若いハイカーが多く、「うぇーい」という感じのノリで、どうも居心地が悪い。ババ平でテント泊をするならば、ここで幕営料を支払う必要があるが、明日以降の行動予定を考えると、その先の殺生まで行ったほうが良い。10分ほど悩み、とりあえず申し込みはせずにババ平に向かう。


もし体がきつければ、テントを張ってしまって、幕営料は後でもよいだろう。テント場まで30分ほどとのことだったが、ここから勾配がきつくなり、かなりしんどい。途中何度か槍沢ロッヂに帰ろうかなと立ち止まる。すでに12時。殺生までは4時間ほどかかるみたいだ。逡巡した末、まずはババ平の様子を見てみることに。


ババ平のテント泊指定地は、30張ぐらいのテントでぎゅうぎゅう詰めだった。さらに槍沢ロッヂではしゃいでいた若者たちのグループもテントを設営し始めていたので、なおさら泊まる気になれない。一番いい場所は、馬鹿でかいテントとタープが専有していた。「○○大学、○○君捜索隊」と書いてある。気持ちはわかるが、長期滞在するならば、もう少し端っこに構えてはどうだろうか。指定地から少し先の河原にも、テント場から溢れたと思わしきテントが点在していた。増水したら危ないだろうし、指定地外なのでグレーな感じだ。ということでそこもスルー。「えーいままよと!」と決意して殺生ヒュッテを目指す。


ババ平から先は一気にハイカーの数が減った。60歳ぐらいのおじさんに「殺生までですか?」と聞くと、「そうです、この時間からあぶないよねえ」などと言う。確かに、時間切れになれば、ビバークするしかない。さらにそのおじさんは小屋泊装備だったので、本当のビバークになる。こんなときはテントを担いでいるとちょっと安心感がある。


大曲というポイントで進路が大きく左に変わり、ぐっと勾配が増す。すぐに雪渓が現れ、10分ほど雪の上を歩く。冷気に当てられて寒い。雪渓を越えると、グリーンベルトと呼ばれているジグザグの道に入る。このあたりで相当まいる。寒気もするので、休憩時に、アンダー、ミドル、アウターのすべてを着替える。汗冷えも相当あったようで、とても暖かくなった。着替えの重要性を再認識。何度も休憩しながらジグザグを登り切ると、左に大きく道がカーブし、一段上の台地の上に乗る感じになった。


「ヒュッテ大槍」方面への分岐点付近から、ようやく殺生ヒュッテが見えた。近いような遠いような。その裏手には霧に隠れた黒黒とした影が見える。しばらく待っていると、ついに槍が姿を現した。うーん、かっこいい!隣で休憩していたおじさんにも「槍が見えましたよ!」と声をかけると急いで写真を撮っていた。


小屋が見えてからが長かった。ガレ場の歩きにくい道をノロノロと登る。振り向くと、今朝下りてきた蝶ヶ岳常念岳を結ぶ稜線が鮮明に見える。今日は歩きすぎた。昨日の長塀尾根に勝るとも劣らない疲労感を覚える。もうちょっとトレーニングしてから挑むべきだったか。小屋のテラスには見下ろすような余裕の姿をした先着者たちの姿が見える。「あいつへばっとるな」とか言われてるんだろうな。


小屋の直下あたりで、テントが見え始める。混んでないことを祈る。石で組まれた階段を一歩一歩登る。行ったことはないが、ネパールの高地のような感じ。ようやく小屋に到着。小屋前のベンチにザックを下ろして「疲れたー」と声に出して座り込む。とりあえず、小屋のカウンターで、いかにも山小屋の主という風貌のおじさんにテント泊をしたい旨を告げる。


「上の方にいけばいくらでも空いてるから」という言葉に励まされつつ、ついでにコーラも買って、幕営料700円とコーラ300円(だったかな?)で、合計千円を支払い、ふらふらとテン場に向かう。すぐにガレガレの空き地を見つけ、上の方に行くのが面倒なので、ザックを下ろす。コーラを飲みながらしばらく呆然とする。後ろには間近に槍が見える。


雨具などを乾かしつつ、さあテントを張ろうかという段階になって、あまりにもガタガタな地面と敷地の狭さに気が付き、テント場の上部を偵察。意外にもフラットで広いスペースが空いていたので、上着だけをそこ置いて、急いで引っ越し。幸い陽が差してきたので、ザックからすべての荷物を取り出し、天日干しをする。ついでに財布のお札も濡れていたので、石を置いて乾かす。しばらくすると一陣の突風が吹き、慌てて荷物を押さえる。お札も何とか無事だったが、最初に数えていなかったので、一枚ぐらい飛んでいったかも知れない。


だらだらとテントを設営し、夕日に照らされる槍を眺めたり、常念山脈を眺めたりしつつ、アルファ米、スープ、レトルトの豆とさんまで夕食。レトルトは重いが、フリーズドライ食品よりは随分味が良い。短期の山行ならありだ。若干頭痛もあったので、早めに就寝。夜中に目が覚めて、小屋のトイレに行く。夜景を何枚か撮る。しっかりした三脚が欲しくなった。


8/13(木) 槍ヶ岳〜徳沢

ガサガサとテントを撤収する音で目が覚めた。ご来光目的の人たちが、4時頃からテントをたたみ始めているようだ。自分はご来光に何の興味もないので、混むであろうその時間帯を外して、朝のコーヒーをゆっくりと飲み、5時40分ぐらいに空身でテントを出発。


ガレた槍沢の最上部のジグザグ道を登る。朝日が槍を赤く染めている。モルゲンロートというやつだ。本当に天気が良い。すでに山頂を往復してきたであろうハイカーが次々と下りてくる。皆、晴れの間の山頂に立てて満足そうな表情をしていた。途中の雪渓には、上のテン場から風で飛ばされたと思われるテントが落ちていた。稜線上のテン場は風に要注意だ。


40分ほどで槍の肩に到着。山荘には寄らず、直接槍の穂先へ向かう。ウエストバッグだけなので身軽だ。下から見た感じでおおよそ予想はしていたが、間近で見ると槍の穂先自体は小じんまりとしている。ペンキの矢印に従って、下部に取り付く。出だしのあたりが意外とストレッチしなければ届かないホールドなどがあり、岩に登っている感じを味わう事ができた。途中、小槍と呼ばれる鋭い岩峰が見える場所で渋滞。見上げると、鉄梯子の前にうずくまって動けなくなっている女性がいる。


引き返すこともできるだろうに、10分ぐらいしてようやくその人は梯子を登り始めた。明らかに腰が引けていて、非常に変な体勢でナメクジのように梯子を登っていく。ようやく人の列が動き出す。その人は梯子の上のスペースで待機し、皆が抜かしていく。しばらく進むと、下りとの共有ルートに出た。上から若い女性が次々と下りてくる。自分の後ろの人と会話しているので、どうやら友人同士のようだ(あとでワンゲルの先輩後輩だと判明)。


最後の鉄梯子を登り切ると、狭い山頂に20人程が密集していた。逆U字型に列ができており、突端の祠で皆記念写真を撮っては引き返してくるという流れになっていた。なかなか列が進まないので写真を撮りまくる。360度見事に晴れ渡り、劔・立山、三俣蓮華、後立山連峰八ヶ岳、富士山などが一望できた。


ようやく祠の前に順番が回ってきたので、寸前に写真を撮ってあげたおじさんに自分も写真を撮ってもらう。画角を変えて2枚も撮ってくれてありがたかった。次は、後ろの女性たちの写真を撮ってあげる。「どこから来たの?」と聞くと、「福岡です」「どっかのワンゲル?」「K大です」とのことだった。なんとなく現実に引き戻された感じもしたが、はるばる槍の上で、福岡の学生と会うことになるとは。


下りも若干混んではいたが、トータル1時間半ぐらいで登り降りできた。誰も居なければ40分ぐらいだろうか。槍ヶ岳山荘で水を買う。巨大な山小屋だ。少しだけ南岳方面へ歩いてみる。槍の肩のテント場は一張分のスペースが木枠で囲われ、整地もされていて案外快適そうだった。ただ風の強い日には遠慮したい。「南岳〜大キレット〜北穂」に続く稜線は、荒々しく、簡単には人を寄せ付けない雰囲気だ。いつかは挑戦してみたいような気もする。


殺生のテント場に戻る際に、少し間だけ東鎌尾根を経由するルートを使ってみた。先行パーティは小学生ぐらいの子供連れた4〜5人のパーティ。最後尾のリーダーらしきおじさんが、「登山道は登りが優先!」とか「ラーク!」などと言いながら張り切ってパーティをまとめている。なんだかなと思っていると、「あ、間違えた!」とルートミスに気がついた様子。


どうやら槍沢を下るつもりが、間違って東鎌尾根に来てしまったようだ。彼らがちょっと立ち止まっていたので、その隙に、先に行かせていただく。東鎌尾根は痩せ尾根で、梯子もボロく、小学生にはきついかなと思っていると、後ろからそのパーティがやって来た。引き返さずにそのまま来るようだ。あれだけルールにうるさい感じのリーダーなのに、案外判断が緩い。


左手に八ヶ岳、前方に大天井、常念、右手に穂高となかなか素晴らしい眺め。20分ほどで殺生ヒュッテに下りる分岐に到着。丸印を辿りながらガレガレの急斜面を下る。後ろを振り向いて、先ほどのパーティがちゃんと下りてきているかを確認。ゆっくりだか何とか下りてくるようだ。テント場に戻ると、ずいぶんテントが減っていた。明日からの悪天候を前に、早々に下山した人が多いようだ。テントをたたんで、時折、槍を振り返りながら槍沢を下る。


好天につられてか、下から上がってくる登山者も多い。もし昨日ババ平に泊まっていたら、なかなかタイトな行程になっただろうし、午後からの天気を考えると、昨日殺生まで頑張って良かった。帰りに天狗原に寄ってみようかなとも考えたが、コースタイムを見てあきらめた。欲張りすぎは良くない。


大曲あたりで、沢に降りて休憩。沢の水をがぶ飲みする。上にに小屋はあるが、たぶん昔のように垂れ流しではないだろうと判断。冷たくて気持ち良い。うまい。自分の他には沢に寄るハイカーは見かけなかった。大抵の人はひたすら登山道を忠実に登り下りしている。なんだか通勤のようだ。途中、ツアーと思われる団体に遭遇。皆整然と列をなして、うつむき加減で黙々と登ってくる。うーん、楽しいのかな?


途中、ババ平で大休止。ロケーションは最高だし、一瞬ここでテント張ってもいいかなとも考えたが、指定地は相変わらずぎゅうぎゅうなうえに、河原もグレーな感じ。テントの点在する河原で休んでいると、「テント場があるのにねえ」とあからさまに聞こえるような声でつぶやくおばさんハイカーたち。やっぱりここは止めようと思い、先を急ぐ。


人一人が通れる道幅の登山道を歩いていると、後ろから何度もトレラン風のおじさんや小屋泊装備、といっても、飲み物と雨具ぐらいしか入らないのではないかと思われる小さいザックを背負った人たちに抜かれる。自分の前にいたテント泊装備のおじさんも何度も抜かれていた。抜かれるたびに狭い登山道の端に寄らねばならず、少々うっとうしい。そんなに急いでどこに行くのだろう。


今日は余裕があるので、写真を撮りつつのんびり歩く。苦手な槍沢ロッヂをスルーし、横尾に到着。川沿いの低地にテントがいくつも並んでいる。どうやらここをベースにして穂高や槍に行く人々もいるようだ。ここで泊まるかどうか悩んだ末、どうしても行きしなに見た芝生の気持ちよさそうなテント場が気になり、徳沢まで行くことにした。「横尾〜徳沢」の間は車でも通れそうなくらいよく整地された幅広い道。右手に見える穂高連峰は相変わらずガスっていて上部は見えない。


猿の群れに遭遇したりしながら、15時過ぎに徳沢着。徳沢園でテント泊の受付を済ませ、適地を探す。真ん中あたりのいい場所はすでに沢山のテントで埋まっていた。一番端の芝生の無いジメジメとした場所に決定。湿気は嫌だが、隣との距離が近いのはもっと嫌だ。


少し離れた場所にでかいタープを張ったUL系のおしゃれ家族二組がいた。足首にタトゥを入れたおとうさんがタイベックのシートの上で読書をしている。ここはのんびりとしたファミリーキャンプにはうってつけだ。あとからそのファミリーに合流したもう一人のおとうさんの言葉はどうやら九州方面の言葉。


そのファミリーの向こうには関西弁を話す岩登り仕様の老夫婦。その老人の夫は、奥さんが何か持ち物を忘れたことに激怒している。こんな所まで来て喧嘩せずともよいのに。なんにせよ、今回の山行はやたら関西人と九州人に遭遇する率が高かった。両方の言葉を知っているから特に耳についただけかもしれないが。


テントを設営し、テント場の直ぐ横にある徳沢ロッジで風呂に入る。温泉ではないが、3日分の汗が流せて気持ちよかった。入浴料も600円と良心的。徳沢園の横の売店で、アイスクリームを食べ、テントに戻ってアルファ米と味噌汁の貧相な晩御飯。隣のファミリーは焼き肉のようだ。地図や徳沢ロッジでもらったリーフレットなどを眺めつつ就寝。テントの外は雨。


8/14(金) 徳沢〜上高地

6時半頃起床。コーヒーを淹れて、夜中に自分の隣へテントを張った関西人2人組と話す。彼らはこれから涸沢に向かうそうだ。「天候に合わせて休みがあるわけじゃないからなあ」とぼやいている。しばらして、彼らは雨に打たれながらテントを撤収して涸沢に出発した。少しでも天気が良くなるといいが。自分も雨のなかテントをたたみ、徳沢を後にする。14時20分のバスまで時間に余裕があるので、上高地を散策することにした。


明神館から吊り橋を渡り梓川の対岸へ。ここから上高地まで自然散策路があるらしい。まずは、橋の近くにある嘉門次小屋に寄ってみることにした。日本アルプスを広く世間に紹介した宣教師ウェストンを案内した上條嘉門次が建てたという小屋だ。どうやら蕎麦が食えるようなので、600円のざるそばを注文し、相席のテーブルに付く。


お隣さんもテント泊装備のザックを横に置いているので、話そうかなと思っているうちに、向こうから話しかけてきた。なんでも、槍ヶ岳に登った後、横尾に二泊し、涸沢から北穂に登ってきたらしい。この人も関西出身。関西の山の話や、今回の山行の話で盛り上がる。帰りのバスも号車は違うが同じバス。上高地BTでまた会いましょうと言って自分は先に店を出た。蕎麦はまあ普通の味だった。


雨の中、所々木道になっている散策路を進む。河童橋方面から来たであろう観光客も多い。途中にあった立ち枯れの木のある池は本当に綺麗だった。池に注ぐ沢には大きなイワナらしき魚影も見えた。次回訪れるかもしれない岳沢の登山口を確認し、河童橋を目指す。河童橋手前の川辺から岳沢方面全体が見渡せた。上部はガスで見えないが重太郎新道がいかに急登であるかは確認できた。ほとんど崖だ。


観光客であふれる河童橋を通り過ぎ、ウェストンの石碑を見物に行く。上高地BTの対岸を1キロほど川下に向かって歩くと、木陰にある花崗岩にウェストンのレリーフが埋め込まれていた。写真を撮り、来た道を戻る。途中、西糸屋山荘という宿屋兼食堂に入り、大盛りカレーを注文。ものすごい量だったが、何とか完食。河童橋まで戻り、ビジターセンターや土産物屋に寄って、上高地BTに到着。嘉門次小屋で会った関西人と再び遭遇。彼は帰り支度で忙しそうだ。自分も靴やら何やらを洗い、ダメ押しの土産を売店で買ってバスに乗り込んだ。


帰りは3列シートの真ん中。足置きもあり、席自体の幅も広いのでずいぶん楽だが、やはり寝づらい。コンセントも一番端の列にだけあり、隣が空席になってから試しに挿してみるが、使えなかった。SA休憩では嘉門次小屋の同郷人と三度遭遇。また関西の山ででも会えたら楽しいだろう。岐阜・名古屋を経由し、見慣れた名神阪神高速へとバスは進んでいった。下界は汗ばむほど蒸し暑い。今日の槍は晴れているだろうか。了