蝶と槍 2014/8/11-14

8/10(日) 帰阪

台風11号に追われながら新幹線で帰郷。久しぶりのI駅は大規模な改装中で仮の出入口が設置されていた。サッポロビールの工場跡地にR大学が新校舎を建設中で、それにともない駅前を再開発している最中のようだ。金持ち大学はやることがでかい。


8/11(月) 出発

上高地までの交通手段は、新大阪発の深夜23時過ぎのバスなので、昼間に梅田で買い出し。駅ビルで好日山荘を探すも、どうやら移転した模様。ネットで調べると、「グランフロント大阪」とかいう聞いたことのないビルに新店舗がオープンしているらしい。高架をくぐってウメキタへ。かつての広大な操車場跡地は小綺麗な巨大ビル郡に変貌していた。なんだか大阪らしくない。


好日山荘では防水袋とショートスパッツとペグを購入。今回の山行は雨が予想されるので70Lのパックライナーも購入。ゴミ袋に100均フードクリップでもよかったか。ヨドバシで実家で使うwifiルーターを買って帰宅。パッキングを済ませ、夕食を終えると、バスの時間が迫ってきたので、wifiの設定は北アから帰ってからすることして実家を出発。


今回はもともと、福岡で知り合った山仲間と「岳沢〜奥穂〜涸沢」を小屋泊まりの1泊2日でピークハントする予定だったので、テント泊のつもりは無かった。しかし、台風のため、急遽日程をずらして、単独で北アを3泊4日で回ることにした。そのため、直前になってせっかくならテント泊にしようと考え直したこともあり、装備が結構いいかげんになってしまった。


60Lのザックを背負い、深夜I駅に向かう。台風の影響で電車がやや遅れたが、無事出発時刻の20分ほど前に新大阪のバスターミナルに着いた。「さわやか信州号」の乗り場には、すでにザックが10個ほど並んでおり、カラフルな登山ウエアに身を固めた連中がたむろしていた。バス停の少し先に見つけたコンビニで一服し、バスに乗り込む。


行きのバスは4列シートだ。普通の観光バスでトイレも付いていない。事前にHPで調べて存在すると思っていたコンセントも無く、わりと失望した。隣は黒縁メガネの若者。ブックリーダーで読書をしている。バックライトが眩しい。京都駅で2、3人が乗り込み、一路信州へ。窓側だったものの、窓側の肘置きが無いため、異様に寝づらい。首が痛い。腰も痛い。全然寝れない!2時間ごとにSAで休憩があり、そのたびに、真っ先飛び出し、体を伸ばす。どうやら自分は夜行バスには向いていないようだ。結局ほとんど寝れないままに、夜が白んできた。トータルで1時間も寝ていないだろう。


8/11(火) 上高地蝶ヶ岳

上高地で下車すると予想通り小雨が降っていた。穂高連峰があると思われる方面にはガスがかかっており何も見えない。小腹が空いていたので、売店でおにぎりとコーヒーを買う。上高地では原則ゴミはすべて持ち帰ることになっているが、売店で買った商品のゴミに限って購入店で回収してくれる。「3泊4日:蝶ヶ岳常念岳大天井岳槍ヶ岳上高地」というかなり無理めかつ欲張りな計画の登山届を提出し、カッパを着込んで、河童橋方面に向かう。


河童橋は早朝の小雨模様にも関わらず、登山者でごった返していた。梓川は普段よりも水嵩が増しているようだったが、それでも青く澄んでいた。絵葉書写真を撮り、先を急ぐ。蝶ヶ岳の登山口のある徳沢までは、ほぼフラットな道だった。所々、水たまりができており、歩きづらかったものの、なかなか快適な道。


道の脇にあるキャンプサイトでは雨の中、朝餉の用意をしているキャンパーたちの姿が見えた。途中、明神館という休憩ポイントで一服&トイレ。クマ目撃情報の張り紙が目についた。やはりここは本州なんだ。1時間半ほどで徳沢到着。元牧場だという広いテント場には4、5張のテントがあった。徳沢園の軒にザックを置き、テント場の横にある綺麗なトイレで朝の用達。ザックの元へ帰ってくると雨が強くなりだした。


雨の中、徳沢園の裏手から、蝶ヶ岳に続く長塀尾根に登り始める。カッパとスパッツとザックカバーのフル装備。なるべくゆっくり登ることを心がける。登り始めてすぐ大きなザックを背負った若者2人に抜かれる。10分ほど登ると、登山道の脇で先ほどの若者たちがザックをおろして、ハアハア言いながら大休止をしている。どうやらペース配分を間違えたようだ。彼らとはその後山頂まで会うことはなかった。


長塀尾根は噂通りの急登。樹林帯で薄暗く、たまに開けていてもガスで何も見えない。寝不足と雨と久しぶりのテント泊装備で死にそうになる。高度が上がるにつれて、気温も下がり、止まっていると、大量にかいた汗が冷えて異常に寒い。このままだと低体温症になるかもなあと思い、行動食やレーズンパンを食べて、体内からの発熱を促す。


途中、10坪ほどの平場があり、休憩をしていると少しだけ陽が差し込んてきて気持ちがやわらいだ。ダブルストックの若者に抜かれ、急登の所で先に見えた登山者たちには追いつけず、一人ゆっくりとしたペースで登る。3時間45分かけてようやく長塀山山頂に到着。山頂といっても三角点があるだけの通過点のような場所だ。


大休止をし、蝶ヶ岳山頂を目指す。クルマユリの咲く池を過ぎると、急に植生が変わり、ハイマツなど背丈の低い木々ばかりになった。足元もガレ場になり、パッと視界が開けた。強烈な風。どうやら山頂はもうすぐのようだ。風に体を煽られながら、ガレ場を上がり、木製の杭のある山頂に到着。近くにあるはずの山小屋はガスで見えない。とりあえず写真をとって小屋方面に向け稜線を歩く。重いザックを背負っているにも関わらず、谷から吹き上げてくる突風に飛ばされかける。一瞬、ガスの切れ目に赤い屋根が見えた。


どうやら50m先ぐらいに蝶ヶ岳ヒュッテがあるようだ。しばらくするとサーッとガスが晴れ、小屋の全貌があらわになった。雲間に浮かぶ、山小屋独特の増築に増築を重ねたいびつな外観は、ラピュタに出てくる炭鉱町の風景を思わせた。いつの間にか目の前に登山者が数名現れた。近くのテント場では、この突風のなかテントを張ろうとしている人たちが数名いた。自分は小屋に泊まると固く決意する。小屋に入ると、受付には列ができていた。おそらく安曇野方面か常念方面から来た登山者たちだろう。


一泊一食、翌日の弁当付きで9500円。高い!先に受付を済ませた50歳ぐらいのおじさんと一緒にテキパキと部屋へ案内される。小屋の従業員は大学生のバイトのようだ。二段ベッドの一番奥のスペース。幸いにも部屋の端っこだ。そのおじさんと正方形の布団を分け合うかたちの寝床。彼もテント泊の予定だったようだが、強風のため小屋泊にしたそうだ。お互い初の小屋泊。彼は大阪の泉南出身で、結構気さくにいろいろと話しをすることができた。


頭痛と寒気がするので、とりあえず、自炊スペースで棒ラーメンとコーヒーを作る。身体のなかから温まりたい。談話スペースには石油ストーブもあったが、常連らしき連中が専有し、お互いに山行自慢を交わしていた。うーんこういう雰囲気はどうも苦手だ。となりのおじさんと大阪の山やこれからの山行計画などを話していたが、頭が割れそうに痛かったので、13時過ぎに仮眠をとることにした。どうやら高度障害が出たようだ。すこし吐き気もした。


「バルバルバル!」と異常にでかい音で目が覚める。ちょうど就寝スペースの裏手がヘリの発着場になっており、この強風のなか3回ほど荷物の搬入・搬出をしていた。強風に煽られて、小屋にヘリが激突しないだろうかと恐れつつ、再び眠る。気が付くと17時前だった。17時半からの夕食のため食堂に向かう。長机に8人ぐらいが相席。おかずが豊富なウマそうな飯。御飯と味噌汁はそれぞれ、おひつと鍋に近い席の人が配膳してくれた。ありがたい。


食後、小屋の周りを散歩する。テント場のテントが増えていた。となりのおじさんが「俺もテント泊にすればよかったなー」と後悔していた。「そうですねー」と頷きつつ、内心小屋泊で良かったと思う。頭痛もまだ治らないので、18時半頃には眠りについた。


8/12(水) 蝶ヶ岳〜殺生ヒュッテ

5時過ぎ起床。おとなりさんはすでに起きていたようで、パッキングも完了していた。自分はだらだらと過ごす。自炊場でコーヒーを淹れ、体を温める。乾燥室に吊るしていた服はほとんど乾いていなかった。特に乾燥設備が有るわけではないスペースなので仕方がない。出発準備を整え、常念方面に向かう稜線を歩く。昨日の段階で横尾に下りることを決めていたので足取りは軽い。常念方面はガスっていた。


30分ほどで、横尾に下りる分岐に到着。ここからひたすら樹林帯を下る。長塀尾根以上に変化がなく単調な道。所々道が川になっている。登りには使いたくない感じ。途中、5組ほどの登山者とすれ違う。ずいぶん下の方で、ビニール傘をさした軽装の欧米人ファミリーと遭遇。大丈夫だろうか。英語ができれば助言でもしたのだが。槍見台というポイントからうっすらと槍が見えた。遠い。


横尾に下りると、雨が本降りになりだした。涸沢方面と槍ヶ岳方面の分岐点となる横尾は登山客で賑わっていた。自販機でジュースを飲んで、槍ヶ岳方面に向かう。今日はとりあえず、槍沢ロッヂに泊まるか、ババ平でテント泊をするつもりだ。雨にもかかわらず、梓川沿いの登山道を多くのハイカーが槍方面に向かっていた。一ノ俣、ニノ俣というポイントで橋で渡ると、徐々に勾配がでてきた。


キツイなあと思いつつ、どこかで昼飯の弁当を食べねばと考えているうちに、槍沢ロッヂに到着。ロッヂ前のベンチにザックを下ろして、水補給と一服。雨が降っているためか、小屋内の休憩所は混雑していた。そのまま外のベンチに腰掛け、雨に打たれながら蝶ヶ岳ヒュッテで買った弁当を食べる。やたらでかいおにぎり2つとウィンナーと独特な風味の魚のフライ。川魚かも知れない。


周囲を見渡すと、若いハイカーが多く、「うぇーい」という感じのノリで、どうも居心地が悪い。ババ平でテント泊をするならば、ここで幕営料を支払う必要があるが、明日以降の行動予定を考えると、その先の殺生まで行ったほうが良い。10分ほど悩み、とりあえず申し込みはせずにババ平に向かう。


もし体がきつければ、テントを張ってしまって、幕営料は後でもよいだろう。テント場まで30分ほどとのことだったが、ここから勾配がきつくなり、かなりしんどい。途中何度か槍沢ロッヂに帰ろうかなと立ち止まる。すでに12時。殺生までは4時間ほどかかるみたいだ。逡巡した末、まずはババ平の様子を見てみることに。


ババ平のテント泊指定地は、30張ぐらいのテントでぎゅうぎゅう詰めだった。さらに槍沢ロッヂではしゃいでいた若者たちのグループもテントを設営し始めていたので、なおさら泊まる気になれない。一番いい場所は、馬鹿でかいテントとタープが専有していた。「○○大学、○○君捜索隊」と書いてある。気持ちはわかるが、長期滞在するならば、もう少し端っこに構えてはどうだろうか。指定地から少し先の河原にも、テント場から溢れたと思わしきテントが点在していた。増水したら危ないだろうし、指定地外なのでグレーな感じだ。ということでそこもスルー。「えーいままよと!」と決意して殺生ヒュッテを目指す。


ババ平から先は一気にハイカーの数が減った。60歳ぐらいのおじさんに「殺生までですか?」と聞くと、「そうです、この時間からあぶないよねえ」などと言う。確かに、時間切れになれば、ビバークするしかない。さらにそのおじさんは小屋泊装備だったので、本当のビバークになる。こんなときはテントを担いでいるとちょっと安心感がある。


大曲というポイントで進路が大きく左に変わり、ぐっと勾配が増す。すぐに雪渓が現れ、10分ほど雪の上を歩く。冷気に当てられて寒い。雪渓を越えると、グリーンベルトと呼ばれているジグザグの道に入る。このあたりで相当まいる。寒気もするので、休憩時に、アンダー、ミドル、アウターのすべてを着替える。汗冷えも相当あったようで、とても暖かくなった。着替えの重要性を再認識。何度も休憩しながらジグザグを登り切ると、左に大きく道がカーブし、一段上の台地の上に乗る感じになった。


「ヒュッテ大槍」方面への分岐点付近から、ようやく殺生ヒュッテが見えた。近いような遠いような。その裏手には霧に隠れた黒黒とした影が見える。しばらく待っていると、ついに槍が姿を現した。うーん、かっこいい!隣で休憩していたおじさんにも「槍が見えましたよ!」と声をかけると急いで写真を撮っていた。


小屋が見えてからが長かった。ガレ場の歩きにくい道をノロノロと登る。振り向くと、今朝下りてきた蝶ヶ岳常念岳を結ぶ稜線が鮮明に見える。今日は歩きすぎた。昨日の長塀尾根に勝るとも劣らない疲労感を覚える。もうちょっとトレーニングしてから挑むべきだったか。小屋のテラスには見下ろすような余裕の姿をした先着者たちの姿が見える。「あいつへばっとるな」とか言われてるんだろうな。


小屋の直下あたりで、テントが見え始める。混んでないことを祈る。石で組まれた階段を一歩一歩登る。行ったことはないが、ネパールの高地のような感じ。ようやく小屋に到着。小屋前のベンチにザックを下ろして「疲れたー」と声に出して座り込む。とりあえず、小屋のカウンターで、いかにも山小屋の主という風貌のおじさんにテント泊をしたい旨を告げる。


「上の方にいけばいくらでも空いてるから」という言葉に励まされつつ、ついでにコーラも買って、幕営料700円とコーラ300円(だったかな?)で、合計千円を支払い、ふらふらとテン場に向かう。すぐにガレガレの空き地を見つけ、上の方に行くのが面倒なので、ザックを下ろす。コーラを飲みながらしばらく呆然とする。後ろには間近に槍が見える。


雨具などを乾かしつつ、さあテントを張ろうかという段階になって、あまりにもガタガタな地面と敷地の狭さに気が付き、テント場の上部を偵察。意外にもフラットで広いスペースが空いていたので、上着だけをそこ置いて、急いで引っ越し。幸い陽が差してきたので、ザックからすべての荷物を取り出し、天日干しをする。ついでに財布のお札も濡れていたので、石を置いて乾かす。しばらくすると一陣の突風が吹き、慌てて荷物を押さえる。お札も何とか無事だったが、最初に数えていなかったので、一枚ぐらい飛んでいったかも知れない。


だらだらとテントを設営し、夕日に照らされる槍を眺めたり、常念山脈を眺めたりしつつ、アルファ米、スープ、レトルトの豆とさんまで夕食。レトルトは重いが、フリーズドライ食品よりは随分味が良い。短期の山行ならありだ。若干頭痛もあったので、早めに就寝。夜中に目が覚めて、小屋のトイレに行く。夜景を何枚か撮る。しっかりした三脚が欲しくなった。


8/13(木) 槍ヶ岳〜徳沢

ガサガサとテントを撤収する音で目が覚めた。ご来光目的の人たちが、4時頃からテントをたたみ始めているようだ。自分はご来光に何の興味もないので、混むであろうその時間帯を外して、朝のコーヒーをゆっくりと飲み、5時40分ぐらいに空身でテントを出発。


ガレた槍沢の最上部のジグザグ道を登る。朝日が槍を赤く染めている。モルゲンロートというやつだ。本当に天気が良い。すでに山頂を往復してきたであろうハイカーが次々と下りてくる。皆、晴れの間の山頂に立てて満足そうな表情をしていた。途中の雪渓には、上のテン場から風で飛ばされたと思われるテントが落ちていた。稜線上のテン場は風に要注意だ。


40分ほどで槍の肩に到着。山荘には寄らず、直接槍の穂先へ向かう。ウエストバッグだけなので身軽だ。下から見た感じでおおよそ予想はしていたが、間近で見ると槍の穂先自体は小じんまりとしている。ペンキの矢印に従って、下部に取り付く。出だしのあたりが意外とストレッチしなければ届かないホールドなどがあり、岩に登っている感じを味わう事ができた。途中、小槍と呼ばれる鋭い岩峰が見える場所で渋滞。見上げると、鉄梯子の前にうずくまって動けなくなっている女性がいる。


引き返すこともできるだろうに、10分ぐらいしてようやくその人は梯子を登り始めた。明らかに腰が引けていて、非常に変な体勢でナメクジのように梯子を登っていく。ようやく人の列が動き出す。その人は梯子の上のスペースで待機し、皆が抜かしていく。しばらく進むと、下りとの共有ルートに出た。上から若い女性が次々と下りてくる。自分の後ろの人と会話しているので、どうやら友人同士のようだ(あとでワンゲルの先輩後輩だと判明)。


最後の鉄梯子を登り切ると、狭い山頂に20人程が密集していた。逆U字型に列ができており、突端の祠で皆記念写真を撮っては引き返してくるという流れになっていた。なかなか列が進まないので写真を撮りまくる。360度見事に晴れ渡り、劔・立山、三俣蓮華、後立山連峰八ヶ岳、富士山などが一望できた。


ようやく祠の前に順番が回ってきたので、寸前に写真を撮ってあげたおじさんに自分も写真を撮ってもらう。画角を変えて2枚も撮ってくれてありがたかった。次は、後ろの女性たちの写真を撮ってあげる。「どこから来たの?」と聞くと、「福岡です」「どっかのワンゲル?」「K大です」とのことだった。なんとなく現実に引き戻された感じもしたが、はるばる槍の上で、福岡の学生と会うことになるとは。


下りも若干混んではいたが、トータル1時間半ぐらいで登り降りできた。誰も居なければ40分ぐらいだろうか。槍ヶ岳山荘で水を買う。巨大な山小屋だ。少しだけ南岳方面へ歩いてみる。槍の肩のテント場は一張分のスペースが木枠で囲われ、整地もされていて案外快適そうだった。ただ風の強い日には遠慮したい。「南岳〜大キレット〜北穂」に続く稜線は、荒々しく、簡単には人を寄せ付けない雰囲気だ。いつかは挑戦してみたいような気もする。


殺生のテント場に戻る際に、少し間だけ東鎌尾根を経由するルートを使ってみた。先行パーティは小学生ぐらいの子供連れた4〜5人のパーティ。最後尾のリーダーらしきおじさんが、「登山道は登りが優先!」とか「ラーク!」などと言いながら張り切ってパーティをまとめている。なんだかなと思っていると、「あ、間違えた!」とルートミスに気がついた様子。


どうやら槍沢を下るつもりが、間違って東鎌尾根に来てしまったようだ。彼らがちょっと立ち止まっていたので、その隙に、先に行かせていただく。東鎌尾根は痩せ尾根で、梯子もボロく、小学生にはきついかなと思っていると、後ろからそのパーティがやって来た。引き返さずにそのまま来るようだ。あれだけルールにうるさい感じのリーダーなのに、案外判断が緩い。


左手に八ヶ岳、前方に大天井、常念、右手に穂高となかなか素晴らしい眺め。20分ほどで殺生ヒュッテに下りる分岐に到着。丸印を辿りながらガレガレの急斜面を下る。後ろを振り向いて、先ほどのパーティがちゃんと下りてきているかを確認。ゆっくりだか何とか下りてくるようだ。テント場に戻ると、ずいぶんテントが減っていた。明日からの悪天候を前に、早々に下山した人が多いようだ。テントをたたんで、時折、槍を振り返りながら槍沢を下る。


好天につられてか、下から上がってくる登山者も多い。もし昨日ババ平に泊まっていたら、なかなかタイトな行程になっただろうし、午後からの天気を考えると、昨日殺生まで頑張って良かった。帰りに天狗原に寄ってみようかなとも考えたが、コースタイムを見てあきらめた。欲張りすぎは良くない。


大曲あたりで、沢に降りて休憩。沢の水をがぶ飲みする。上にに小屋はあるが、たぶん昔のように垂れ流しではないだろうと判断。冷たくて気持ち良い。うまい。自分の他には沢に寄るハイカーは見かけなかった。大抵の人はひたすら登山道を忠実に登り下りしている。なんだか通勤のようだ。途中、ツアーと思われる団体に遭遇。皆整然と列をなして、うつむき加減で黙々と登ってくる。うーん、楽しいのかな?


途中、ババ平で大休止。ロケーションは最高だし、一瞬ここでテント張ってもいいかなとも考えたが、指定地は相変わらずぎゅうぎゅうなうえに、河原もグレーな感じ。テントの点在する河原で休んでいると、「テント場があるのにねえ」とあからさまに聞こえるような声でつぶやくおばさんハイカーたち。やっぱりここは止めようと思い、先を急ぐ。


人一人が通れる道幅の登山道を歩いていると、後ろから何度もトレラン風のおじさんや小屋泊装備、といっても、飲み物と雨具ぐらいしか入らないのではないかと思われる小さいザックを背負った人たちに抜かれる。自分の前にいたテント泊装備のおじさんも何度も抜かれていた。抜かれるたびに狭い登山道の端に寄らねばならず、少々うっとうしい。そんなに急いでどこに行くのだろう。


今日は余裕があるので、写真を撮りつつのんびり歩く。苦手な槍沢ロッヂをスルーし、横尾に到着。川沿いの低地にテントがいくつも並んでいる。どうやらここをベースにして穂高や槍に行く人々もいるようだ。ここで泊まるかどうか悩んだ末、どうしても行きしなに見た芝生の気持ちよさそうなテント場が気になり、徳沢まで行くことにした。「横尾〜徳沢」の間は車でも通れそうなくらいよく整地された幅広い道。右手に見える穂高連峰は相変わらずガスっていて上部は見えない。


猿の群れに遭遇したりしながら、15時過ぎに徳沢着。徳沢園でテント泊の受付を済ませ、適地を探す。真ん中あたりのいい場所はすでに沢山のテントで埋まっていた。一番端の芝生の無いジメジメとした場所に決定。湿気は嫌だが、隣との距離が近いのはもっと嫌だ。


少し離れた場所にでかいタープを張ったUL系のおしゃれ家族二組がいた。足首にタトゥを入れたおとうさんがタイベックのシートの上で読書をしている。ここはのんびりとしたファミリーキャンプにはうってつけだ。あとからそのファミリーに合流したもう一人のおとうさんの言葉はどうやら九州方面の言葉。


そのファミリーの向こうには関西弁を話す岩登り仕様の老夫婦。その老人の夫は、奥さんが何か持ち物を忘れたことに激怒している。こんな所まで来て喧嘩せずともよいのに。なんにせよ、今回の山行はやたら関西人と九州人に遭遇する率が高かった。両方の言葉を知っているから特に耳についただけかもしれないが。


テントを設営し、テント場の直ぐ横にある徳沢ロッジで風呂に入る。温泉ではないが、3日分の汗が流せて気持ちよかった。入浴料も600円と良心的。徳沢園の横の売店で、アイスクリームを食べ、テントに戻ってアルファ米と味噌汁の貧相な晩御飯。隣のファミリーは焼き肉のようだ。地図や徳沢ロッジでもらったリーフレットなどを眺めつつ就寝。テントの外は雨。


8/14(金) 徳沢〜上高地

6時半頃起床。コーヒーを淹れて、夜中に自分の隣へテントを張った関西人2人組と話す。彼らはこれから涸沢に向かうそうだ。「天候に合わせて休みがあるわけじゃないからなあ」とぼやいている。しばらして、彼らは雨に打たれながらテントを撤収して涸沢に出発した。少しでも天気が良くなるといいが。自分も雨のなかテントをたたみ、徳沢を後にする。14時20分のバスまで時間に余裕があるので、上高地を散策することにした。


明神館から吊り橋を渡り梓川の対岸へ。ここから上高地まで自然散策路があるらしい。まずは、橋の近くにある嘉門次小屋に寄ってみることにした。日本アルプスを広く世間に紹介した宣教師ウェストンを案内した上條嘉門次が建てたという小屋だ。どうやら蕎麦が食えるようなので、600円のざるそばを注文し、相席のテーブルに付く。


お隣さんもテント泊装備のザックを横に置いているので、話そうかなと思っているうちに、向こうから話しかけてきた。なんでも、槍ヶ岳に登った後、横尾に二泊し、涸沢から北穂に登ってきたらしい。この人も関西出身。関西の山の話や、今回の山行の話で盛り上がる。帰りのバスも号車は違うが同じバス。上高地BTでまた会いましょうと言って自分は先に店を出た。蕎麦はまあ普通の味だった。


雨の中、所々木道になっている散策路を進む。河童橋方面から来たであろう観光客も多い。途中にあった立ち枯れの木のある池は本当に綺麗だった。池に注ぐ沢には大きなイワナらしき魚影も見えた。次回訪れるかもしれない岳沢の登山口を確認し、河童橋を目指す。河童橋手前の川辺から岳沢方面全体が見渡せた。上部はガスで見えないが重太郎新道がいかに急登であるかは確認できた。ほとんど崖だ。


観光客であふれる河童橋を通り過ぎ、ウェストンの石碑を見物に行く。上高地BTの対岸を1キロほど川下に向かって歩くと、木陰にある花崗岩にウェストンのレリーフが埋め込まれていた。写真を撮り、来た道を戻る。途中、西糸屋山荘という宿屋兼食堂に入り、大盛りカレーを注文。ものすごい量だったが、何とか完食。河童橋まで戻り、ビジターセンターや土産物屋に寄って、上高地BTに到着。嘉門次小屋で会った関西人と再び遭遇。彼は帰り支度で忙しそうだ。自分も靴やら何やらを洗い、ダメ押しの土産を売店で買ってバスに乗り込んだ。


帰りは3列シートの真ん中。足置きもあり、席自体の幅も広いのでずいぶん楽だが、やはり寝づらい。コンセントも一番端の列にだけあり、隣が空席になってから試しに挿してみるが、使えなかった。SA休憩では嘉門次小屋の同郷人と三度遭遇。また関西の山ででも会えたら楽しいだろう。岐阜・名古屋を経由し、見慣れた名神阪神高速へとバスは進んでいった。下界は汗ばむほど蒸し暑い。今日の槍は晴れているだろうか。了

室堂〜剱岳〜池ノ平〜阿曾原〜欅平 2013年8月11日〜8月17日

8月11日 福岡〜富山

今日は移動日。昨日からお盆休みに入り、夜遅くにパッキングを終えた。まず、7時10分の新幹線で新大阪まで向かい、サンダーバードに乗り換え、13時前に富山駅に着く予定。今回の山行は私のリクエストで、室堂〜剱岳欅平、4泊5日のロングコースだ。同行者は旧友のM。彼は北アルプス長期縦走の経験者だ。短パンに半袖姿で、パンパンに膨れた60Lのザックを背負い、早朝の西新駅に向かう。

3ヶ月ほど前から、筋トレと食事制限を続け5Kg痩せた。痩せたのはいいが、ザックのウエストベルトを締めると、腹の前でパッド同士がぶつかってしまい、腰に荷重分散できなくなってしまった。ザックに違和感を残したままの出発となった。新幹線は東方面への帰省客で満席だ。東京行のため熟睡もできず、新大阪で下車。在来線のホームからサンダーバードに乗り込む。ザックを背負った青年がホームに居た。大阪からだと富山へは案外アクセスがいいのかも知れない。

サンダーバードは3時間半の長旅だ。喫煙ルームもないのでかなりつらい。福井や金沢の平坦な風景を眺めながら、とぎれとぎれ眠る。京都駅で乗り込んできた隣席の若い女性は終始スマートフォンを見入っている。気分が悪くならないのだろうか。金沢を過ぎ、藤子不二雄の故郷、高岡を通過。大仏が見えるかなと左右に目を凝らすが、赤茶けたさびれた町が見えるだけだ。13時前に富山着。短パンに登山靴というアンバランスな格好で、改装中の駅舎をうろつく。

南口から出ると、こじんまりとしたコンコースのいたるところにザックが置いてある。ザックを背負った人も多い。予想通り、お盆休みまっさかりの富山駅北アルプスを目指すハイカーたちの基地と化していた。とりあえず、予約していた地鉄ホテルを探す。南口から出て、左に5分ほどで富山地方鉄道の駅に着いた。駅の上にそびえるビルが地鉄ホテルだ。2Fのフロントでザックを預かってもらう。ポーチに貴重品だけを入れて、町に出る。Mは18時前に着くそうだ。

それにしても暑い。短パンをはいてきて正解だった。駅前の「シネマ横丁」という寂れた看板に惹かれ、奥へ入る。事前に駅で観光マップをもらうべきだったが、Mの「南側が栄えている」という言葉を頼りに、短い横丁を通り抜け、灼熱のなか大通りを南下する。気がつくと県庁前の大きな噴水のある公園に着いていた。日陰のベンチではホームレスがくつろいでいる。どうやら庁舎の集まる地区に来てしまったようだ。お盆とあり、庁舎周辺の食堂は開いてない模様。

小さな川を渡り、築3年ほどと見受けられるピカピカのお城の建つ公園を通り抜け、さらに南下すると、大きな商店街に突き当たった、総曲輪という地区らしい。読み方がわからない。とりあえず、アーケードの下に避難し、食事処をさがすが、大きすぎて要領を得ない。結局、路面電車の走る大通りを富山駅方面に戻り、駅前の商業ビルへ入った。地下の食堂街に下りると、「ブラックラーメン」の看板。興味津々で暖簾をくぐる。

普通のラーメンが750円。博多ラーメンに慣れてる身としては相当高額に感じる。出てきたのは、チャーシューが2切れ入った甘めのしょうゆラーメン。久々の縮れ麺を味わいつつも、博多ならば、同じ値段で餃子と半チャーハンが付くな、などとつい考えてしまう。駅で観光マップをもらい、一旦ホテルに戻る。ネットで駅周辺の山道具屋を検索し、再び町に出る。大通りに面した一つ目の店は、こじんまりとしつつも、厳選された道具が置かれた印象の店。クライマー向けのようだ。二つ目の店は、路地に入ったところにある変わった名前の店。常連が多く居づらい。一通りひやかしてそそくさと出る。

再びホテルに戻り、シャワーを浴びて地図やガイドブックを読む。そうこうするうちにMから電話があり、フロントで合流。着ていた衣類をコインランドリーに入れ、部屋に戻る。洗濯物の乾燥が終わったあと、三度、町に出て、シネマ横丁の先にある中華料理屋へ入る。チャーハンと餃子とビールでささやかな前夜祭。ホテルに戻り、パッキングを済ませ就寝。


8月12日 室堂〜剱沢

7時に富山駅前から室堂行きの直行バスに乗り込む。ほとんどの客は日帰りのようだ。富山郊外を抜け、地方鉄道と併走しながら、徐々に山間部へ入っていく。途中の休憩ポイント「立山あるぺん村」でお菓子を購入。まるで遠足だ。谷合の道を進み、一般車通行禁止の「立山黒部アルペンルート」に入る。つづら折の道をぐんぐん登り、あっという間に高度1000mを超えた。美女平の駅を通過し、立山杉に囲まれた道を徐々に上っていく。ペラペラの樹皮が特徴的なダケカンバも確認できた。

昨年ラムサール条約に登録された弥陀ヶ原に入り、ホテルの前で客が一人下車。車窓から大日岳・奥大日岳を背景とする広大な景色が見渡せる。室堂に近づくにつれ、いかつい山々も増えてくる。立山三山にくわえ、剱岳の頭も遠望できた。9時半に室堂着。どうしてもトイレを済ませておきたいので、一服して、腹の様子をうかがう。ウォシュレット仕様の清潔なトイレで無事に済ます。水を補給し、サングラスを装着して出発。

コンクリートで舗装された遊歩道をミクリガ池方面に向け歩き出す。このあたりは、老若男女、多数の観光客で溢れかえっていた。ミクリガ池を通過し、雷鳥沢に下る。テント場は赤・黄・青・緑で埋めつくされていた。テント場奥の沢の手前で休憩。これから登る別山乗越を見上げる。結構遠い。沢を渡り、まずは新室堂乗越を目指す。途中、雪渓があり、アイゼン無しでこわごわ渡る。上から来た若者は、のろのろした我々の雪渓渡りが終わるやいなや、長い木の杖を巧みに操り、グリセードで一気に雪渓を滑り降りていった。

酸素が薄いためかすぐに息が上がる。終始Mが先行し、なんとか付いていく。新室堂乗越で一息入れ、剱御前小舎のある別山乗越に向かう。このあたりから頭痛と右腕のしびれを感じ始めた。頭痛はおそらく高度障害で、腕のしびれはザックの調整不良によるものだろう。13時半、ようやく別山乗越に到着。剱御前小舎は立派な小屋だった。九州には山小屋がほとんどないので、物珍しげに見入る。小屋前は立山方面から下りてきた登山客も多いようでにぎわっていた。北に目をやると、剱沢越しに剱岳全体が見えた。山頂部にガスがかかっているが、猛々しく黒々とした偉容に圧倒される。

ガレ場を剱沢に向けて下り、今日のテント設営地を探す。ちょうど移動したばかりと思われる空地を見つけ、ザックを下す。しばらく頭痛で動けない。Mは早々とテント設営に取りかかっている。剱を眺めつつ一服。ロケーションは最高だ。のろのろとテントを立て終えてから、管理棟を訪ね、設営料一人500円を支払う。水場は二か所あり、管理棟側の水場は塩素で消毒されているらしい。水を補給しテントに戻る。アルファ米と乾燥中華丼と卵スープで晩飯。中華丼とスープはおいしい。頭痛がひどいので、17時半に私はテントに潜り込む。

20時頃に斜め下の山岳部OB連中と思われるテントの騒がしい声で起きる。まだ頭痛はする。暗い中サンダルでトイレに行き、歯を磨く。騒がしいテントは「いいかげん静かにしてください」と誰かに注意されていた。にもかかわらず、しばらく騒がしかった。いつの間にか再び寝入る。


8月13日 剱沢〜剱岳〜剱沢

3時50分起床。空は星で埋めつくされていた。コーヒーを淹れ、お菓子で朝食。Mも起きたようだ。剱岳を見ると、すでに登山客の光の列が見える。ご来光目的の人たちだろう。我々もサブザックに水と食料とカッパを入れ、出発準備に取り掛かる。一度トイレに行くが、出ない。出発直前に再びトイレに行くと、大の方に人が列をなしていた。4つある個室のうち3つがフンづまりになり、なかなか列が進まない。結局30分もトイレの前で並び、何とかことを済ます。

待ちくたびれて、準備運動をしすぎたというMと合流し、剱岳に向け出発。途中で、食糧がないことに気づき、テントまで引き返す。なんだかんだで、5時半を回ってしまった。大きな雪渓を二回渡り、登山口にあたる剣山荘に到着。建て替えられたばかりの綺麗な山小屋だ。剣山荘を6時に出発。序盤は花の咲くのんびりとした道だ。しばらくすると鎖場が現れた。「1番目鎖場」とある。これが13番目まで続くらしい。序盤は鎖場といいつつも、鎖に頼ることなく登れた。30分ほどで一服剱に到着。一服しようと思うが、案外狭く、次々と登山客が登ってくるので、すぐに下りた。前剱手前の鞍部まで一旦高度を下げる。

眼前には存在感のある前剱がそびえている。急なガレ場をカラフルな格好をした登山客たちが登っていく。落石に気をつけつつ、ゆっくりゆっくり登る。Mは常に先行。ちょっとした鎖場を越え、7時過ぎに前剱到着。剱沢を振り返るとテントがゴマ粒のように見えた。東側の谷底には今日行くかも知れない真砂沢のテント場が見える。今度こそ一服して、いよいよ本峰に向け出発。ここから険しい岩場が続く。まずは、5mほどの鉄橋と岩場のトラバース。鉄橋両サイドは崖だが、もちろん足元だけを見て慎重に渡った。鎖のあるトラバースの途中で靴紐がほどけた。脱げたり紐を踏んづけると危険なので、トラバース途中でしゃがみこみ、サッと紐をむすぶ。どうも紐が長すぎるようだ。

平蔵の頭という岩場あたりから混みだす。Mは先行する登山客と十分な距離を保つため、しばしばストップする。危険回避策としては当然だろう。むしろ他の登山客が間を詰めすぎており、見ていて恐ろしい。私の後ろにもぴったりとくっついてくるので、距離を空けるようお願いした。平蔵の頭を過ぎ、平蔵谷最上部の雪渓を過ぎると「カニのタテバイ」だ。鉄の杭が打ち付けられ、鎖のぶらさがる垂直の岩壁に、登山客が虫のごとくへばりついて攀じ登っている。カニはタテに進めるのか?と思いつつ、基部で順番を待つ。Mが先行し軽快に登っていく。少し間を取り、自分も続く。登っている最中はジャングルジムのようで楽しかった。最後は腕の力をフルに使ってテラスに乗り上げた。

タテバイを過ぎると、山頂まで傾斜の緩いガレ場が続く。早月尾根との分岐を過ぎると、ほどなくして、山頂に到着(8時50分)。休憩込みで3時間弱の行程だ。山頂は30人程の登山客でにぎわっている。とりあえず、剱岳の看板を持って記念撮影。みんな撮ったり、撮られたり。奥の空いたスペースで腰を下ろす。眼下には八ツ峰がきれいに見える。雪渓上部にはクライマーたちのテントも見えた。360度山だらけ。初めての北アルプスなので、当然どれがどの山なのか皆目見当がつかない。しばらく呆然とし、再び写真を撮ったりして下山開始。

下山路は予想通り混んでいた。最大の難所とされる「カニのヨコバイ」手前では5分ほど待たされた。順番待ちの時が一番緊張する。上からだと裏手になるヨコバイの岩場は、先行者の動作が見えないので、自分が行くまで状況がわからない。先行者が視界から消え、いよいよ自分の番が来た。とりあえず鎖に手をかけ、予習した通りに、赤スプレーのある足場に右足を伸ばす。難なく着地できた。下は数十メートル切れ落ちているらしいが、当然見ない。後続のMに「大丈夫やで」と声をかけることで、自分の緊張も和らいだ。割れ目に足先を突っ込んで、カニのようにトラバースするわけだが、思っていたよりも割れ目の幅が狭く、足先がちょんと乗っているだけだ。ただ、5m程で終わるので、すんなりと渡れた。

ヨコバイのあとの岩場を慎重に下っていると、後ろでゴロゴロという音。振り向くと、Mが左足を伸ばして、上から転がってきたスイカサイズの岩を受け止めている。Mの後続者が落としたものだ。少し前から、威勢のいい感じの若者が後ろにいるなあとは思っていたが、ガンガン下ってきて浮石を蹴り飛ばしたようだ。その若者が焦って、Mの傍に下りてくる。「すいません。これ落としたらシャレにならない」とか何とか言いながら、岩を安定させようとする。それを見て私は、その若者の居る足場が悪いこともあり、「さわるな、ほっとけ、あんたも落ちるぞ」と声をかける。結局、ぎりぎりのバランスで落石は食い止められ、若者も転落することはなかった。おそらくその若者は、難所のヨコバイを通過し、調子に乗ってスピードをあげたせいで、岩を蹴とばしたのだろう。お調子者というか、ああいう人間が事故にあったり、加害者になったりするのかも知れない。Mが足で止めていなかったら、上りの登山客に直撃していた可能性もあったはずだ。自戒も込めて人為落石には気をつけよう思った。

平蔵の頭を登り返し、ケルンのある広場で休憩。ゆっくり下りることにする。背負ってきた1.5Lの水がここで無くなった。疲れと緊張で普段より水を多く飲んでいたようだ。剣山荘でコーラを飲むことを夢見つつ、落石を発生させないように注意しながら前剱を下る。一服剱で休憩し、一気に剣山荘まで駆け下りる。受付でコーラとカレーを注文。500円!と1000円!。強い日差しが降り注ぐテラスで乾杯。カレーはうまかったが、肉がほとんど無かった。今日は真砂沢には移動せず、剱沢でもう一泊することに決め、たっぷり休憩をとって、テントに戻った。昼過ぎに戻ってきたので、時間を持て余し、寝転んだり、水場で洗濯をしたりする。ストックを二本使って、細引きで固定し物干し場を設営。Mの助言もあり、それなりのものができた。一人だとやる気が起きなかっただろう。ロープワークを覚えねば。勢いで持ってきた重いスパムの缶詰を開け、コンロで焼く。やることもないので早めの晩飯だ。

スパムとアルファ米を食べるうちに、やっぱビールでしょ。ということになり、ジャンケンで、15分ほど下った剱澤山荘にビールを買い出しに行く役を決める。負けたので、しぶしぶサンダルでゴロゴロ道を下る。ロング缶二本を買って、小屋の主に明日下る剱沢雪渓の状況を聞いてから、テントに戻る。スパムを直火で炙りつつ、ビールを飲む。目の前には先ほど登った剱岳がでーんと構えている、という最高の晩飯だった。ちなみにザックのウェストベルトはマジックテープで簡単に調節でき、翌日以降の不安は解消された。18時頃には各自テントに入り、いつの間にか寝てしまった。


8月14日 剱沢〜池ノ平

4時半起床。昨日の教訓を踏まえ、早めにトイレを済ます。わりとテキパキとテントを撤収し、6時過ぎに剱沢キャンプ場を後にする。剱澤小屋の横から剱沢に下る。30分ほどで小滝が現れ、雪渓の最上部に到着した。真砂沢あたりから上ってきたと思われるクライマーたちの集団が、アイゼンを外していた。結構年の方が多い。クライミング系は案外年齢層が高いようだ。二人とも、簡易アイゼンを装着。私はチェーンスパイク。Mはプレートにピンの付いた軽量なもの。雪渓に入ると、若干滑るものの、ある程度効いている様子。

朝日の差し込む明るい谷に広がる雪渓を黙々と下る。Mはかなりのハイペース。私は音の無い広大な空間を全身で楽しみつつ、ゆっくりと下る。踏み抜きの危険性を叔父から聞いていたので、氷化したあやしい部分は避けて歩く。平蔵谷、長次郎谷の出合を過ぎる。上ってくる人が結構いる。雪渓の真ん中を歩く人もいれば、端を歩く人もいる。剱澤小屋で前日にもらった雪渓マップを参考に、南無の滝手前で左岸の草付きに上がる。滝上部の雪渓は傾斜がきつく、足を滑らせたら滝つぼまで一気に滑り落ちるだろう。草付きではカメラ機材を背負った2人組みと出会った。彼らも仙人峠まで行くらしい。

しばらく休憩していると、上から60才前後と見られる女性が一人で雪渓を下りてきた。話を聞けば、なんでも雲切新道が嫌いらしく、池ノ平まで行って、また室堂まで登り返すとのこと。なかなかすごい人もいるもんだ。左岸の夏道を下ると、真砂沢のテント場が見えてきた。このあたりは雪渓がズタズタに崩れており、雪渓下の沢の様子がよく見えた。あれに落ちたら、黒部川の本流まで運ばれるだろう。

真砂沢のテント場は、緑に囲まれた小さな村という感じで、上から見たときよりも雰囲気がよい。石垣で囲まれたロッジも、昨日までの立派な山小屋とは異なり、質素で好感が持てた。ロッジの主にこの先の雪渓の様子を伺う。今年は雪が多いらしく、特に危険箇所は無いとのこと。高度が下がったからか、ずいぶん暑く感じる。真砂沢を後にし、雪渓をしばらく下ると、道はゴロゴロ岩の河原に変わった。沢に下りられる場所で休憩。冷たい沢の水を頭から浴びる。非常に気持ちよい。が、このあたりからアブが現れだした。急いで虫除けスプレーを噴射。

ルートのわかりづらい河原を進み、ガイドブックにあったへつりポイント過ぎると、まもなく二股の吊橋に着いた。吊橋では先ほどの単独女性が休憩していた。沢に素足をひたすと気持ちよいが、冷たすぎて10秒もつけていられない。水を汲んで、いよいよ本日一番の急登、仙人新道に入る。草木の生い茂る里山のような道だ。普段歩いている近所の山道のようで、私は調子が出てくる。Mは若干バテ気味。心拍数が上がらないよう、ペースを崩さずにできるだけゆっくりと登る。

途中、道端の塩ビのパイプから水がチョロチョロ流れ出ており、下に置かれたステンレスのコップに冷水が満たされていた。ありがたく頂戴する。急登半ばの水場は助かる。しばらくすると地図にも記載のあるベンチ広場に出た。わずかに日陰のある側のベンチにはカップルが頭を木陰に突っ込んで休憩していた。彼らとは結局、欅平まで同行することになる。日向のベンチしか空いていなかったので、さっさと先を急ぐ。ベンチ先の斜面に木陰を見つけ、ザックを置いて倒れこむ。しばらくするとバテバテのMが上がってきた。相当参っているようで、先に行ってくれとのこと。

休憩ポイントの頭上にはブルーベリーそっくりの実がなっていて、一つ口に入れてみるが、すっぱくて吐き出す。シャシャンボの類だろうが、まだ熟していないようだ。しばらくすると、先ほどの単独女性とは別のもう少し高齢な単独女性が上ってきた。年季の入ったザックに余裕の表情。池ノ平まで行くそうだ。木陰を勧めるが、先を急ぐとのこと。元気な人が多い。Mを置いて先に出発する。一本道の尾根なので迷うこともないだろう。とにかく日陰が無いのがつらい。左手には三ノ窓、小窓雪渓、チンネなどが見える。

先ほどの高齢単独女性を追い越し、さらに、カップル、カメラマンの片割れ、雪渓で出会った単独女性を追い越した。心拍数が上がらないよう心がけるが、追い抜いた手前、なんとなくペースが上がる。早く峠に着いて休憩したい。ようやく汗だくで峠に着いた。期待していた日陰の休憩スペースは無く、ザックを放り投げて、わずかな木陰に身を横たえる。相当くたびれた。水とポカリをがぶ飲みする。峠から右手下方に仙人池ヒュッテの赤い屋根が見えた。その奥には後立山の峰々が控えている。名前は分からないものの、名のある山々なのだろう。

休息し気力を取り戻し、体操をする。しばらくすると単独女性が汗だくで登ってきた。息は上がっていない。自分のペースを崩さないよう心がけているのだろう。彼女はしばらく話すと池ノ平方面に歩いて行った。そのあとにカップル。昨日は黒部ダムからハシゴ谷乗越を越えて、真砂沢で一泊したそうだ。今日は池ノ平で一泊し、明日は阿曾原に泊まり、欅平まで行くらしい。行程が我々とまったく一緒だ。彼らを見送り、写真などを撮り、しばし待つ。なかなかMが来ない。

空身で何度か道を戻ってみるが、人の気配はない。熱中症で倒れているのかと思ったが、ようやく人の話し声が聞こえてきた。どうやらカメラマンの片割れと高齢単独女性の三人で一緒に上がって来たようだ。動画を撮りながらへろへろのMを迎える。Mは峠に着くと、自分と同じように木陰に倒れこんだ。もう動けないとか何とか口走っている。しばらくすると、つかのま寝てしまったというカメラマンの片割れと単独高齢女性が上がって来た。彼女も息は上がっていない様子。ペースを守っているからだろう。カメラマンの方はヒュッテに向かい、高齢女性も池ノ平に向かうはずだが、なぜかヒュッテ方面に下りていった。旧い巻き道があるらしい。

我々も池ノ平を目指す。予想とは異なり、緩い下りの楽な道だった。途中、山小屋の人とすれ違う。なんでもバテた客を迎えにいくそうだ。小屋商売も大変だ。背後に池ノ平山を控えた広い鞍部に質素な小屋と数張りのテントが見えた。裏剱が望め、花と池のある楽園のような場所だ。まずは小屋でテント設営の手続き。一張り600円。水とトイレは小屋のものが使える。ジュースを買って、テント場に向かう。先のカップルはすでに小屋の傍にテントを立てていた。我々は山側の広場に張ることにする。広場中央は均された砂地のヘリポートになっており、さながら土俵のようだ。

テントを設営し、遅めの昼食。私は棒ラーメン。一束では足りなく、結局2束ゆでる。小屋の従業員に小屋付設の五右衛門風呂に入れるか尋ねてみるが、宿泊客のみとのこと。風呂は明日に持ち越しだ。日が落ちる頃、裏の山から登攀用具をガチャガチャ鳴らしながら、夫婦と思われる二人組が降りてきた。どうやら池ノ平はクライミングの基地としてもよく利用されているようだ。昼飯から1時間半経って、今度は晩飯。ビールとオイルサーディン、アルファ米の五目御飯などを食べる。外にマットを出し、ストレッチなどをして就寝。暑くてシュラフなしでも寝られた。


8月15日 池ノ平〜阿曾原温泉

5時起床。テントを片づけて、カップルに記念写真を撮ってもらい、7時に出発。仙人峠まで戻り、仙人池ヒュッテを目指す。ヒュッテに着くと、小屋のおじさんが「そこにザックを置いて、奥に行けばいいですよ」と声をかけてくれる。何のことかと思いつつ、ザックをベンチの置き、指示された方へ行くと、仙人池があり、湖面に裏剱がくっきりと写っていた。逆さ剱である。紅葉の時期はカメラマンが殺到するらしい。我々も、色んなアングルから写真を撮りまくる。そうこうするうちに後発のカップルも来て、彼らも写真を撮りまくる。ひとしきり写真を撮り終え、土産でも買おうと小屋を覗いてみるが、泊まってもいないのにバッジなどを買う気にもなれず、つぎのチェックポイントの仙人温泉に向け出発。

ヒュッテ横から仙人谷に下りると、予想外に雪が残っていた。ガイドブック等で、この区間に雪渓があることは知っていたが、どうやら雪渓歩きもありそうな気配。しばらく進むと、先行していたカップルが土手の草むらにしゃがみこんでいる。女性の方が「そっちから上にいけますかー」と叫ぶ。どうやら、高巻きする道がないかどうか尋ねているらしい。左手を見上げるがそれらしきものはない。下は雪渓。前方は傾斜のきつい土手。行く手をはばまれた。しばらく考え、雪渓に下りてみることにした。雪が多いので、踏み抜く心配はなさそうだ。アイゼン無しでゆっくり下っていく。

しばらくすると、雪渓を軽快に登ってくる男性が現れた。背負子にクーラーボックスを括り付けている。どうやら小屋の従業員らしい。土手の上で行き詰っているカップルが、そのおじさんに雪渓の下り方を尋ねている。引き続き我々も雪渓の下り方を教わる。なんでも、雪渓の表面の模様をなしているスプーンでえぐったような窪みの真ん中に足を下ろし、山になっているところは踏んではならないらしい。アイゼンがない場合は踵に全体重をかけてリズミカルに下ればよいという。おじさんが実演してくれる。たしかにスピーディ。いわゆるキックステップだ。上りのキックステップは何となく知っていたが、下りの方法は初めて知った。

また、雪渓の真ん中は沢の真上なので氷が薄く、両端もまた薄いので、雪渓を三等分したときの1/3の線上が一番厚く、そこを歩くのが理想とのこと。おじさんにお礼を告げ、雪渓からガレ場に下りる。これで雪渓歩きは終わりかなと思っていたが、草むらをしばらく歩くと、大雪渓が広がっていた。ここからは、先ほどのアドバイスをもとに、自己判断でルートを決めなければならない。ところどころ夏道に上がるマークが見えるので、それを目指して、おそるおそる雪渓に乗り、1/3を意識しながら慎重に下る。後ろからカップルが付いてくる。こういう時は後続の方が得だ。何度か雪渓を渡り、ワサビ田のある夏道を下ると、泥の堆積した雪渓に出て、そこから左岸の夏道に取り付いた。

どうやら雪渓は終わりらしい。谷を見下ろすと、ズタズタになった雪渓が見える。先ほどの小屋のおじさんも言っていたが、来週あたりだと、上部の雪渓も溶けている可能性がある。スリリングだったが、貴重な体験だったのかもしれない。30分ほどハードな夏道を下ると、大岩にペンキで「おつかれ様 仙人温泉」の文字。対岸には源泉と思われる湯煙が見える。へとへとで小屋上のスペースにへたり込む。ベンチもあったが、入浴中の登山客のザックが占拠していた。迷惑!小屋でリンゴジュースを買い、カレーが食べられるかどうが尋ねてみる。昨日の残りを温めたものなら出せるとのこと。小屋主が「500円でいいよ!」と従業員に告げる。小屋に入れてもらい、ありがたくカレーをいただく。

手作り感あふれる小屋の食堂には、熊の皮が飾ってあり、「赤マムシの刺身 時価」の張り紙も。小屋主のギターを弾く名物おやじの姿も見える。ご飯は冷えていたが、具だくさんのカレーは剣山荘の1000円カレーよりもよほど食べごたえがあった。食事中には、従業員の方が、健脚自慢の客の話をしてくれた。なんでも昨日は馬場島から剱岳を経てやってきた人がいたそうだ。ちょっと信じがたいが、すごい人もいるもんだ。小屋の人にお礼を告げ、険しい下りと評判の雲切新道に向かう。右岸に渡り、源泉の横を通り、尾根のピークを目指す。

途中、ほぼ空身の若者二人とすれ違う。こんな山奥まであの装備でどうやってきたのだろう? 30分ほどで雲切新道の尾根のピークに到着。いよいよ悪名高い下りだ。仙人ダムまで高度差800mを一気に下る。心して下り始めるが、よく整備されたふかふかの快適な道だ。木陰を見つけてはこまめに休憩する。カップルや単独のおじさんなどと前後しつつ下っていく。眼前には五竜岳鹿島槍ヶ岳などが見える。長い梯子などで私は遅れをとり、下り集団の最後尾になってしまった。登るとなると気が滅入るが、予想していたよりはましな道だった。高度が下がるにつれ、ブナなどの大木が増えてくる。へとへとだったが、樹間から仙人谷ダムが見えると少し元気が出た。

下れども、下れどもMは見えない。疲れたので、今回初めて自主的に休憩をとる。ブナの大木の下で一服。暑い。樹林帯をしばらく下ると、仙人谷ダムに流れ込む沢に出た。沢の傍で、Mをはじめ、先行していたハイカーたちが皆休憩していた。20分遅れぐらいだろうか。粗末な木の吊橋を渡り、Mと合流。10分ほど休憩し、仙人谷ダムへ向け出発。この先には最後の長い鉄梯子が待っている。梯子嫌いの私としては今回最大の難所だ。ストックを収納している間に、Mがさっさと下りる。続いて私も梯子の両端をしっかり握って下降開始。必要以上に手に力が入る。予想よりは短かったが、腕の筋肉が張ってしまった。

深緑色のダム湖沿いの道を歩き、ダム施設の屋上に出る。久々に見た大規模な人工物。屋上の段差には鉄梯子が立てかけられており、ピンクのリボンが登山ルートであることを示している。ルートとはいえ、不法侵入のようで奇妙な感じだ。ダムは放水中で、轟音とともに、量感のある水が白しぶきを立てて下流に叩き付けられていた。屋上から敷地内に降り、扉を開けてダム施設内部に入る。扉の横にはハイカー向けに館内ルートが掲示されている。館内は、湿度が高く、かび臭いが、ひんやりとしていて気持ちがよい。最小限の照明が灯された薄暗くて長い通路を進む。戦争映画に出てくる地下通路みたいだ。Mとお互いに写真を撮り合う。

しばらくすると、構内の気温が上がってきた。関電職員専用のトロッコ鉄道の線路を横断。いわゆる高熱隧道だ。職員が線路に放水している。挨拶をするが返事はない。ハイカーにあまりいい感情を持っていないのだろうか。かつての廃墟好きとしては、高熱隧道付近をつぶさに見て回りたいところだが、職員に白い目でみられそうなので、そそくさと施設を出る。コンクリート製で見るからに堅牢そうな関電の社員宿舎の脇を通り、再び山道へ入る。M曰く、ここから最後の登りになるらしい。ちょこっと登ってあとは楽々道だろうと思っていたが、最初から木の梯子のある急登。雲切新道の下りで体力を使い果たした身には、かなりこたえる。木の根やロープにすがりながら、急坂をのろのろとよじ登る。20分ほどでようやく最高点と思わしきところに出た。Mが休憩している。

幅の狭い道にザックを置きしばし休憩。その間に、カップルが追いついてきた。カップルを先行させて、我々も出発。幸い、ここから阿曾原までは水平歩道の一部で、高低差がほとんどなかった。明日歩く水平歩道の一端を味わいながら、16時前にようやく阿曾原温泉に到着。小屋で設営料を払い、温泉の利用法を聞く。男女時間交代制のようだ。コーラを飲んで、小屋から下ってすぐのテント場でくつろぐ。お互い最後のテントを設営。あとから来たカップルも我々の傍にテントを設営した。ビールを飲みたいところだが、温泉上がりにとっておく。男湯時間になり、サンダルでテント場の下にある温泉に向かう。意外と遠く、道も悪い。サンダルではちょっとつらかった。3m×6mぐらいの湯船には、すでに先客が2人居た。一人はカップルの片割れ。もう一人は単独のおじさん。二人とも酒を持ち込んでいる。

Mと単独のおじさんは、単独行あるある話で盛り上がっている。自分はカップルの片割れと山の話。熊本出身らしいが、九州の山には行ったことがないらしい。ホントは近所の低山ばかり行っているが、もし行くなら九重なんかが良いですよと、一般的なおすすめをしておいた。泉質はごく普通。水を入れて温度を調節する。石鹸が使えないので、垢をこすり落とす感じではないが、4日分の汗をすすぎ、湯船で全身の筋肉を弛緩させることができ、大変気持ち良かった。後から、仙人温泉の先ですれ違った若者二人がやってきた。彼らは阿曾原をベースに仙人温泉まで空身で往復したようだ。10分ほどで上がり、テントへ戻る。小屋でビールとチューハイを買ってきて乾杯。最後のアルファ米の食事を済ませ、Mからラム酒をもらいつつ、世間話などをする。ほどよく酔っ払ったところで就寝。8・15を山で向かえたのは初めてだと思う。


8月16日 阿曾原温泉〜欅平

山行最終日。5時過ぎに起床。朝食を済ませ、4日分の汗を吸い込んだ長袖のウェアを嫌々着る。テントを片付け、7時前に阿曾原を発つ。最初は登りだ。テント場を度々振り返りながらゆっくり登る。山から離れるのが惜しいような、早く町に出たいような複雑な心境。30分ほどで水平歩道に入った。ところどころ、倒木や歩道の崩壊箇所などがあり、補修した形跡が見られる。草木に覆われていてよく見えないが、右側は黒部川まで切れ落ちた崖だ。つまずかないように終始緊張感を保ちながら歩みを進める。1時間半ほどで、最初のチェックポイント折尾ノ大滝に到着。今日もMが先行。沢で水を補給する。M曰く、先を行く初老の夫婦は、仙人谷で雪渓を踏み抜いたそうだ。結構頻発するアクシデントなのかも知れない。

折尾ノ大滝からすぐのところに、内部を通り抜けられる砂防ダムがあった。めずらしい物件なので写真を何枚も撮る。積雪時のための通路なのだろう。砂防ダムを過ぎると、徐々に崖側の草木が減り、高度感が増してきた。左側に転落防止の針金が張られている箇所もある。入り組んだ谷間を同じ高度を保ってくり抜かれた道を進むので、前方に見える場所までなかなかたどり着かない。どうやってこの難工事を完成させたのかとても気になる。大太鼓というビューポイントの手前あたりから、右手は200m以上あるという断崖が続く。道幅は1m程度はあるので、歩きにくいわけではないが、恐怖感から自ずとスピードは落ちる。左手で転落防止の針金に触れながら、忍び足で歩く。あえて写真を撮ることで恐怖感を払拭する。Mはさっさと通過したようだ。ザックが天井にぶつからないように腰をかがめて核心部を通過。

大太鼓を過ぎると精神的にも楽になり、高さにも慣れてきた。というよりも、麻痺してきた。次のチェックポイント志合谷は、吉村昭『高熱隧道』によれば、泡雪崩で宿舎が対岸まで吹き飛ばされたという場所だ。急峻な志合谷は、遠目には雪渓で道が塞がれているように見える。どうやって突破するのかと思っていたが、雪渓の下にトンネルがあった。ヘッドランプを付けて、5cmぐらい水の溜まったトンネルに入る。雪渓の真下だからなのが、とてもひんやりしている。150mあるというトンネルは、途中で右に曲がっていて、出口の光が見えない。寒さを覚えたあたりで、ようやく出口が見えた。

志合谷を過ぎると、あとはひたすら水平歩道を欅平に向けて歩くのみだ。手掘りの短いトンネルをいくつか通過し、昼前にようやく水平歩道の終点、鉄塔のある広場に着いた。下からは欅平駅の放送が聞こえてくる。_Mが先行し、一気に駅まで下る。足元はもうふらふらだ。50分ほどで駅の裏手に出た。登山口にはロープで結界が作られており、入山注意を促す看板が立てられていた。一般観光客の安易な入山を防ぐためだろうか。その結界が日常と非日常の境目のように思われた。我々は結界の山側にザックを下ろし、しばし放心。目の前は家族連れの観光客で賑わっている。5日分の汗の滲み込んだ我々の衣服からはただならぬ異臭が漂っていたことだろう。ここをベースキャンプにし、これからなすべきことに取り掛かることにした。

とりあえず、宇奈月までの切符を取る係、フードコーナーで食料を買う係を分担することにした。私は食料係になり、店の前の列に並んだ。期待していたおにぎりは売り切れのようだ。切符係のMの方が先に役目を終えて来た。なんでも、17時半の切符しか取れなかったそうだ。予想していたとはいえ、駅舎以外なにも無いこの空間で4時間以上時間を潰すのは苦痛だ。さらに、今日中に福岡、東京へ帰宅することは難しくなった。フードコーナーで天ぷらそばを買い、先ほどのベースキャンプに戻る。そばをすすりながら、今夜の宿を探す。宇奈月の宿は満室の模様。東京へ帰るMにとって、宇奈月から先の宿泊候補地としては魚津がベストチョイスになる。私としては富山でよいので、往路に使った地鉄ホテルを推す。

結局、私のプランが採用され、富山の地鉄ホテルに予約を入れた。そばの食器を店に返却し、ぶらぶらしていると、山から下りてきた単独女性と件のカップルの女性が立ち話をしている。カップルの女性から呼び止められ、「切符どうされましたか?」と聞かれたので、「17時半しかとれませんでした」と答えると、単独女性が「今日帰らないとダメなんですと窓口で強く訴えれば取れるかも知れませんよ」という。ダメ元で窓口で交渉してみる。あっさりと「次の列車に乗ってください」と言われる。急いでMの元に戻り、「あと4分だ!」と急かす。

写真を渡したかったので、件のカップルのザックに連絡先を書いたメモを挟んで、改札の列に並ぶ。定刻になっても、列が進まないので、おかしいなと思い、駅員に聞くと、もう出ましたとの返事。どうやら次の電車の列に並んでいたようだ。落胆し、窓口で再び交渉。なんと今度もすんなり次の次の便の切符がとれた。リラックスシートの代金はパーになったが、仕様がない。最初にMに対応した駅員は一体何だったんだろう? そもそもトロッコ電車の一般席は単なる長椅子を並べたものなので、定員などあってないようなものだ。駅員の勘と、途中駅からの乗客数の情報を頼りに人数調整しているのだろう。

今度はぬかりなく改札を済ませ、鉄道模型のようなオレンジ色のかわいらしい動力車に牽引された、窓のない客車に乗り込む。おそらく四人がけと思われる長椅子に我々はザックを股に挟んで座った。もう一人乗れそうだが、誰も乗ってこないので、結局二人で専有してしまった。宇奈月まで70分の長旅だ。風が通り抜けて気持ち良い。黒部渓谷に沿って、風光明媚な景色が次々と展開する。ただ我々はもっと剥き出しの自然を見てきた直後でもあり、車窓から見える山の名前が気になる程度で、とりたてて感動することも無かったように思う。

宇奈月に到着し、地方鉄道の駅舎まで歩く。時刻表を確認すると、次の電車まで40分ぐらいあるので、駅前の喫茶店に入った。古くからやっていそうなその店は、山の客が結構多いようで、話好きな女将さんが「どっから降りてきたの?」などと色々聞いてくる。会話をするうちに、「富山までの切符、まだ買っていないのなら、株主優待券があるからゆずるよ」と言われた。半額になるのでラッキーだった。喫茶店のコーヒーとソフトクリーム代が浮いた。女将さんにお礼を告げ、ガラガラの地方電車に乗り込み、ボックスシートに座る。お互い足を伸ばしながら、窓から過ぎゆく立山の峰々を見送った。妙に赤い太陽が富山湾に落ちていった。 了

剣尾山 2013/1/4(晴れ時々雪)

【家〜能勢温泉】
友人のT、Sと3人で北摂奥座敷、剣尾山へ行ってきた。Sは昨日に引き続いての連荘登山。Tは昨日19時まで仕事。おまけにSは20時京都発の新幹線で東京に帰らなければならないため、体力的・時間的にシビアな山行となった。朝9時に駅前で集合。自分としてはめずらしく車でのアプローチ。久しぶりの運転かつ知らない道ということもあり、やや緊張気味にロータリー端で彼らを待つ。最初に来たのはSだった。お疲れさんです。つづいてTも到着。Sは助手席。Tは後ろ。慣れないカーナビをセットして登山口にあたる能勢温泉に向けて出発。

中央環状線を使い、国道173号線に入れば、あとは真っ直ぐ北上すればいいだけの簡単なルートだ。しかし、前日確認していたにもかかわらず、173号線に入るために右折すべき交差点を直進してしまった。またしても、Sの人間ナビに助けられ何とか軌道修正。見知らぬ土地を通り抜ける。なぜ、剣尾山なのか? 地理的に実家からそれほど遠くなく、一日で縦走できて、かつ温泉付きという条件で探していたら、たまたま見つけただけに過ぎない。今回の計画を立てるまで全く知らなかった山だ。当たりか外れか。

173号線に入ってからはSの的確なナビの甲斐もあり、順調に進んだ。途中のコンビニで休憩。山に入る前の朝のコンビニは結構好きだ。スイーツ二個とコーヒーを買う。タバコを止めたうえに、乳製品と卵の摂取も控えているというTに悪いなあと思いつつ一服。昨日の疲れが若干残っているが、気分は良い。トンネルをいくつかくぐって、いかにも里山という感じの谷合に位置する能勢温泉の駐車場に到着。なぜかゲートに赤鬼の像が立っていた。車から下りて登山準備。ストレッチで筋を延ばす。雪がチラついている。今日はアイゼン無しだが大丈夫だろうか? 温泉客用の駐車場なので、帰りに外湯を利用することにする。以前はかんぽの宿だったようだが、今は民営となっている。


【行者山〜剣尾山】
駐車場から一旦車道に下りて、今日の縦走路の入口にあたる行者山登山口を目指す。登山口には「おおさか環状自然歩道」の案内板があった。剣尾山を北端に北摂生駒山地〜和泉山地〜和歌山あたりまで大阪府を縁取るように自然歩道を作る計画らしい。ただし、かなり古そうな案内板だったので、その計画が完成したのか、進行中なのか、頓挫したのかはわからない。いつかスルーハイクしてみたいなあ。登り始めは、木の階段が長く続く。二人が先行し、おれは写真を撮りながらついて行く。Sは昨日の山行で痛めた足の調子が戻ったのかな?

10分ほどで、仏画の描かれた巨岩が現れた。行者山という名前からしても、この山域は山岳信仰の対象となっていたようだ。巨岩の先には小さなお堂もあり、初詣も兼ねてお参りをした。結構大きい岩が多い。「ボルダリングに最適やなあ」などと言ってると、実際にボルダリングマットを片付けている最中のクライマーがいた。傍らに高枝切狭のようなものの先にデッキブラシの付いたものがある。「何ですか?」とたずねると、「岩に付いたチョークを落とすものです」とのこと。なかなか配慮が行き届いている。雪が舞うなかのクライミングは冷たいだろうなあ。行者山ピークは登山道脇に標識があるだけだった。ご夫婦のハイカーが休憩されていたので、写真を一枚撮って通過、先行の二人は、会話に夢中で頂上の存在にすら気づいていなさそう。

今回Tはカメラを持たず、マイクに擬似毛を付けたレコーダーを持っていた。なんでも今回の山行を録音するらしい。記録にも色々方法があって良いね。高度が上がるにしたがって、自然林に囲まれた明るい道になった。大人二人が並んで歩けるぐらいの広さがあり快適。これなら子連れでも来れそうだ。炭焼釜跡にTが関心を示す。脊振でもよく見かける。昔は里の人が毎日山に入って薪を拾ったり、炭焼き小屋の番人が炭を作っていたんだろうな。山は燃料補給のためにガンガン利用されていたのだろう。このあたりは赤松が多いようだ。福岡の山ではあまり見ないし、和歌山では松枯れでほとんど失われている。場所が違えば、当然だけど植生も違うものだ。

剣尾山につながる主尾根に上がる直前に、南側に開けた場所があり、そこから海が見えた。よく見ると大阪湾だ。南港やその背後にある生駒・和泉山地もはっきりと見える。海が見えるとは思っていなかったので感動した。海の見える山はいいもんだ。地蔵の並ぶ岩陰で休憩したあと、山頂手前の月峯寺跡で昼食をとることにした。崩れた石灯籠や手水鉢の点在する開けた場所に木製のテーブルと椅子があったので、そこを飯場とした。

小さいテーブルに各々持ち寄った昼飯を並べる。おれはおせちの残りで作った弁当。Sはカップ麺。Tはカップ蕎麦と餅とさんま煮の缶詰。Tがビールの空き缶で自作したアルコールストーブをずらっと並べた。全部で7個。丁寧に加工してある。早速一つにアルコールを入れ、火をつける。初めて見たが、野外ではアルコールの炎はほとんど見えない。手をかざすと手袋の表面が燃えてしまった。湯を沸かすためにクッカーを上に置くが、ゴトクが無いため、クッカーとの間に隙間が出来ず、酸欠で消えてしまう。なかなか実用するのは難しいようだ。Tはあきらめて持参した固形燃料ストーブTEMPOに火をつけた。旅館でよく見る小さな土鍋を暖めるアレを二回りぐらい大きくしたものだ。こちらは実用にたえたらしく、餅を煮ることができた。この作業中、おれはすでに弁当を食い終わっていたので、ひたすら寒さに耐えていた。最後に、Tの持参した一合升で甘酒をいただく。体が温まる。甘酒はありだな。一時間かけて楽しい昼食をとり、荷物をまとめて山頂に出発。10分ほどで剣尾山の山頂に着いた。


【剣尾山〜能勢温泉】
山頂は広く、巨岩が所々に横たわっている。天気も良く、見晴らしも最高だった。記念写真を撮って、巨岩の上から360度見渡す。大阪湾も望めるし、北摂の知らない山々が遠くまで見渡せる。普段の低山ハイクでは考えられない展望AAクラスだ。山頂はそこそこに、次のピークである横尾山に向けて縦走路を進む。潅木がまばらに茂る、明るくて雰囲気の良い道。控えめなクマザサに覆われた北尾根は若干雪嵩があり、雪山ハイク気分が味わえた。マツ、カシ、サルスベリアセビ等々樹種も豊富で飽きない。道幅は狭いが、ちょっとした迷路みたいな感じで好きなタイプのトレイルだ。

反射板のある偽ピークに続く急坂を上がると「摂津 丹波 国界」と刻まれた石柱があった。裏を見ると「明治十二年」とあるのでそれほど古くもないが、往時を偲ばせる渋い石柱だった。偽ピークから西へ10分ほどで横尾山に着いた。北側が開けていて、山々が見渡せる。北西方向に雪を冠した、ひときわ目立つ、格好の良い山群が目に止まった(おそらく御嶽と小金ヶ嶽)。「来年正月はあれに登りたいなあ」などと言いつつ、横尾山を後にした。あとは尾根筋を下りるだけだ。しばらくすると木々が伐採された開けた場所に出た。左手ある鹿避けネットのようなものに沿って尾根を直進する。

MTBのわだちがずっと続いていたが、木の枝を束ねて作られた通せんぼサインを発見。こうしたサインを越えて、今までろくな目にあったことは無い。一瞬間違えたかなと思ったが、先行する二人が「踏跡あるで」と先を行く。たしかにMTBのわだちがあるので、疑問も感じずに二人について行く。普段歩いている無名山の破線コースに比べれば全然ましだが、道がだんだん荒れてくる。Sが立ち止まって地図を確認している。「ちょっとまって、間違えてるんちゃう?」先を行くTを呼び戻す。あたりをよく見ると、下りる予定の尾根が左手後方にある。おかしい。谷は一つしか無いはずだ。曲がるべき分岐を通過してしまったようだ。10分ほど登り返す。先ほどの通せんぼサインの先に、赤い布製のテルテル坊主が木に括りつけられていた。そこを左に下りるのが正解だった。温泉マークの道標一つでもあれば迷うこともないのだが。今回もSの的確なナビで助けられた。単独だと間違わないポイントだろうが(少なくとも地図は見たと思う)、複数だと何となくついて行ってしまうものなんだな。気を付けよう。

雪解けのぬるぬる坂を下り、四角い岩の生える尾根を進む。途中の鉄塔から、先ほど間違えて下りかけた尾根を振り返る。直進していたら全然違う場所に下りて、時間切れになっていただろう。陽が傾くなかペースを上げて下っていく。半ば公園化された温泉上部の丘にある「ひとやすみ峠」で一服。最後の急なつづら折りの道を駆け下りると、温泉施設の裏手に出た。時間が微妙だが、さっと温泉に入ることにした。朝はガラガラだった駐車場も温泉客の車で一杯だ。温泉自体はわりと普通だったが、壊れたロッカーや、ちょっとぬるい屋内風呂と熱すぎる露天風呂のバランスなどが、元かんぽの宿らしさだったのかも知れない。湯冷めしないうちに車に乗り込み、カーナビと人ナビに忠実に従い、二人を下ろす駅に向かった。史跡あり、展望あり、温泉ありの、だれにでもお勧めできる良コースだった。



写真・コースタイムなど
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武奈ヶ岳 2013/1/3(晴れ曇り時々雪)

【家〜イン谷口】
やや過剰なパッキングを終え、ひさしぶりの実家の部屋で布団に潜り込んだのは午前1時過ぎだった。去年の正月にも計画していた厳冬期の武奈ヶ岳山行を今年も計画しようと思ったのは、12月のはじめだった。友人のMT(以下T)、MS(以下S)と何度かメールのやり取りをし、こちらが作成した山行計画書を一方的に送りつけた。Tは去年正月の蓬莱山の同行者だったが、色々な事情が重なり撤退した経験がある。そのためか、今回の計画には乗り気では無い様子。どうしても冬のブナをあきらめきれなかったので、山行日を2日に分け、1日目にS(奥秩父および北アルプス一週間単独行や冬の八ヶ岳経験あり)とブナに行くことにし、2日目にTとSと自分の三人で別の山(剣尾山)へ行くことにした。Sもその計画を了承してくれた。

山行日当日は予定通り5時に起床。就寝前から気になっていた悪天時の別プランの登山届作成や荷物の整理などをしていると、あっという間に朝の貴重な時間を消費してしまった。朝食もとらず8キロ前後の装備を背に、登山靴を履き、暁闇をついて駅まで走る。途中で遅れる旨を電話で伝えようとも考えたが、今回の山行の発案者かつ形式上のリーダーとして、初手から計画を破綻させるようなまねはできないと思い、全力疾走した。券売機の前に着いたのは発車時刻の2分前、慣れない券売機の操作(先に行き先をタッチする方式)にまごつきながらも、なんとかホームにたどり着いた。予定通り前から2両目に乗り込み、ロングシートに腰を落とすが息の乱れは収まらない。今日のために蓄えた体力の1/3ぐらいを使ってしまったようだ。

2駅目で乗り込んできたSは予想外の軽装備に見えた。28Lのザックにワカンとアイゼンケースを括り付けている。60Lの自分のザックがばからしい。ツエルトはこちら持ちとはいえ、パッキング効率が悪すぎる。ザックの容量が、帰省グッズ込みで60Lになってしまったのは仕方が無いが、雪山での機動性を考えれば、日帰りの場合、理想的には30〜40Lに収めたいところだ。Sの服装を一瞥する。丁寧にオイルが塗りこまれ、きつめに締め上げられた革の登山靴。見たことの無いブランドの黒のアウター。道具好きのSらしい。次の乗り換えポイントの京都までは、ひさしぶりに地元の言葉で、他愛の無い話をした。京都駅では4分しか乗り継ぎ時間が無いため、ザックを背負った登山客らしき人を追って、足早に湖西線に乗り込んだ。ボックス席に座って朝食代わりの菓子パンをかじる。長いトンネルを抜けると右手に朝日を湖面に映した琵琶湖が見えた。電話でタクシーを予約しようとするが、営業所が違うと言われ上手く行かない。Sがスマホですばやく連絡先を見つけてくれ、無事予約が取れた。

比良駅で下りたのはわれわれ二人と先ほど京都駅で姿を追った単独の登山客ぐらいだった。駅前の小さなロータリーに予約したタクシーが停車していた。名前を告げ乗り込む。先ほどの登山客はタクシーとは別方向に歩いて行った。車窓からブナ方面を見上げるが、明らかに去年より雪の量が少ない。年末の雨で溶けたとの情報は得ていたが、予想以上のようだ。15分ほどで登山口にあたるイン谷口に到着。駅前で買った缶コーヒーを飲んで比較的ゆっくりと準備をする。GPSの電源やら何やら色々めんどくさい。電子機器はできるだけ少ないほうがいい。つき詰めれば、時計もラジオもガスも持たないサバイバル登山スタイルになるのだろうか。コーヒーの空き缶をデポし(帰りに回収する予定)、登山届を提出して出発。Sから「おれ遅いから」と告げられる。「いやいやおれはもっと遅いよ」。中間着がいまいち定まらないまま当日を迎えてしまった。結局薄手のフリースの重ね着し、暑ければ一枚脱ぐ方式にした。


【イン谷口〜金糞峠】
2004年に比良山スキー場が廃止されて以来、人があまり入らないためか、イン谷口あたりは荒廃していた。案内標識も倒れたまま、雑草も延び放題。かつてあったロープウェイとリフトが無くなったため、冬季の武奈ヶ岳は難易度が格段に上がったらしい(幼い頃に親に連れられて登ったときには、リフトで上がる人々を見上げながら、「なんで歩いて登らなあかんねやろ」と思ったものだ)。いざというときのエスケープ手段が無いため、常に早めの行動と適切な撤退時期の判断力が求められる。イン谷口駐車場に5台、林道をしばらく上がったところにも5台ぐらいの車が停まっていた。子供連れもいる。正月3日から冬山に来る物好きは結構いるもんなんだな。砂防ダムのある沢を右手に見ながら正面谷とよばれる緩い傾斜の谷間を登って行く。雪は無いものの、気温は低く風が冷たい。背後から射す朝日に照らされ、冬枯れの木々の輪郭が際立つ。

予想に反して、比較的天気は良いようだ。山頂までもってくれればいいが。下山ポイントの大山口を過ぎ、徐々に高度を上げる。林道が完全に山道に変わったころから、路面に雪が目立ち始めた。雪は寒気に冷やされて凍り付いている。先行していた5人パーティの若者に追いついたので、間を空ける意味も兼ね、鋼鉄製の巨大な砂防ダム横で休憩。休憩後、沢をやや高巻きする感じで谷を詰める。金糞峠に至る今回のルートの核心部、青ガレの少し手前でアイゼンを装着。スパッツとアイゼンの装着順を間違えたりしながら、なんとか久しぶりに鉄の爪を足下に配した。おれは6本の軽アイゼン。Sは前歯のある10本。

朽ちかけた小さな木橋を渡って、青ガレとよばれる露岩帯に取り付く。赤スプレーで大きく矢印が示されているので迷うことは無いだろう。雪はほとんど無いが、凍り付いて滑るので慎重に行こうとSに声をかける。途中振り向くと琵琶湖がはっきり見えた。10分ほどで露岩帯はあっけなく終了。左にトラバースしつつ、高度を稼ぐ。左手上部には堂満岳にいたる堂満ルンゼが見える。あの絶壁をラッセルしながら登る人たちもいるらしいが、遠目にはとても登れそうにない。途中、ピッケルをカンカン鳴らしながら威勢よく上がってくる若者二人に道をゆずる。彼らのザックにはヒップソリが括りつけられていた。あれで雪面を下ると気持ちいいだろうなあ。雪の若干深くなった最後の急坂を汗を垂らしながら登りきると、吹きさらしの金糞峠に出た。

時間もまだ余裕があり天気も良い。「ん? 行けるんちゃう?」お互いに意思の確認をする。前日の天気予報は曇り一時雪というものだったので、今回はブナ登頂は無理だろうと考えていた。ラッセルとワカンを経験して、適当な場所で撤退するつもりだった。が、予想外の好天と雪の少なさ。あっさり金糞峠に着いてしまった。こうなると俄然ピークを目指したくなる。われわれは風の強い金糞峠をいち早く後にし、次のポイントであるコヤマノ岳に向かった。


【金糞峠〜山頂】
一旦沢に下り、右手に延びるトレースを忠実にたどる。丸太二本を橋桁とする貧弱な木橋を一人ずつわたり、コヤマノ岳への直登コース入口に立つ。道なりの方向を指す「武奈ヶ岳一時間半」という案内板もあるが、われわれは「武奈ヶ岳最短一時間コース」の看板に従って右折し、杉林の急坂に取り付いた。こちらは明らかに冬道だ。道なりコースは中峠にいたる夏道だろう。普段近所の低山で慣れている杉林の急坂をゆっくりと登る。途中の急斜面で先ほどの5人パーティが休憩している。地形図によればもうすぐ二つコブの小ピークがあるはずだが、そこまで持たなかったのは何かあったのかなと思いつつ、彼らを抜かす。

小尾根に上がると、雪の重みのせいだろうか、葉を下にペトン垂れたシャクナゲが群生していた。天気は良いが、ますます体感気温は下がる。急登で汗をかいたので汗冷えもしてきた。気がつくと前髪に垂れた汗が凍り付いていた。歩くたびに汗ツララが額を打ち冷たい。二コブ目の小ピークで小休止。魔法瓶のコーヒーで一服。先ほどのパーティが追い抜いていく。「下りですか?」、いやいやさっき会ったでしょと思いつつ「今からです」と答える。間を空けて出発。コヤマノ岳までのだらだらした登り。しかし、あたりは自然林に変わって、橅の木も目に付くようになり、今日一番の青空。ずっと先行していたSの先を行く。雪質もフカフカに変化し気分も良い。時折、堂満岳、蓬莱山などを振り返りつつ、軽快に登る。Sは若干バテ気味の様子。

コヤマノ岳のピークは小さな標識があるだけで、通過点に過ぎなかった。ピークの少し先でSが手袋を着替える。冬山装備のなかで予備手袋の重要度はかなり高い。凍傷にならないよう冷たく感じたら、すぐに新しいものと取り替えるべきだ。稜線に上がるとますます天気は良くなってきた。Sが先行し、橅の美林をハイペースで進む。緩い下りにさしかかった頃、眼前に武奈ヶ岳のなだらかなピークが姿を現した。マッチ棒のような山頂杭に向け、稜線を歩く人々の姿がはっきりと確認できる。雪化粧をしているものの、間違いなく幼い頃に見た、お椀をひっくり返したような草原のピークだ。

一度鞍部に下りて、最後の急坂に取りかかる。えぐれた山道の両脇にはしっかりと雪が積もっていて、トンネルのようだ。雪で道の嵩が増したためか、潅木がザックや頭部に引っかかり歩きづらい。先行するSを尻目にたびたび振り返り、来た道の写真を撮る。ピークが近いためか急坂も気にならない。いつもピークの手前はこんな感じだ。登るのがもったいないような、早く行きたいような。稜線に上がると10名ほどの先客が山頂にいるのが見えた。西南稜方面からもぽつぽつと登山客がやって来る。われわれも寒風のなか、ちょっと左にカーブした最後の稜線を進む。Sに「着いたねえ」と言ったかも知れないが、具体的に何を言ったのかは忘れた。あっけなく着いてしまった。


【山頂〜北比良峠】
山頂で寒そうに肩を並べる地蔵や、昔は無かったように思う山銘の記された山頂杭などを写真に収めつつ、しばらく四方を見渡す。晴天ではなかったが、それなりに眺望は利いた。次々とやってくる登山客や風裏で食事の準備は始めている人々のなかで、どこか落ち着かない。二人とも腹が減っていたが、行動食を口にし、一服したら下山することにした。見晴らしが良いと評判の西南稜を経由して、坊村に下るプランに変更することも考えたが、坊村方面からガスが上がってきて、下りる気がしない。予定通り八雲ヶ原方面に下ることにした。山頂杭の前で登山客に記念写真を撮ってもらい山頂を後にした。山頂にいたのはおそらく15分ぐらいだったろう。一気に鞍部に下りて、八雲ヶ原分岐を左方向に進む。

木に括りつけられた小さな道標やトレースがあるので迷うことは無かった。八雲ヶ原手前のスキー場跡の上部に出た頃に、一瞬横殴りの雪に見舞われた。だだっ広いゲレンデ跡をトレースを頼りに下って行く。ヒップソリが欲しいところだ。このあたりでせっかく持ってきたワカンを試そうかとも思ったが、早く飯が食いたいという想いが勝り、言い出さなかった。長いゲレンデ跡を下りきると、広い雪原に出た。黄色いテントが一張り。木立のなかで何人かが休憩している。われわれも食事に適当な場所を探す。全面凍結しているヤクモ池の手前にある岩のテーブルで昼食をとることにした。岩に腰掛けたものの、寒くてなかなかコンロを出す気が起きない。一服してザックから各々のろのろとコンロや食料を出す。湯が沸くとそそくさとカップ麺に注ぎ、別々の方向を向いて食べる。岩の配置上、向き合って食事をする感じでもなかった。Sから東京土産の饅頭をもらう。甘いものがありがたい。食後のコーヒーを流し込んで、早々とパッキング。隣のパーティはカマクラ作りにいそしんでいるようだ。

北比良峠に向け、先行するパーティに続いて出発。水路沿いの冗長な坂を黙々と登る。いままで先行し勝ちだったSがなかなか来ない。おれは調子が出てきて、先行パーティを追い抜いてしまった。気になるので停止し、先ほど抜いたパーティに道をゆずる。しばらくすると右足を庇うようにSが上がってきた。足を上げると股関節が痛いとのこと。コヤマノ岳手前でもそのことは耳にしていたが、ここにきて症状が悪化したようだ。時間的に余裕はあるものの、雪山だけに天候の悪化が気になる。ゆっくり行こうと声をかける。時折振り返りながらペースを落として登る。

明日の山行は無理かもしれないなあ、それより動けなくなったらどうしようかなあ、などといった不安が頭をよぎる。携帯で救助要請か? 幸い(本人はずいぶん辛かったろうが)最後の登りを終え、北比良峠までたどり着くことができた。下りは足をあまり上げることなく歩けるので、何とか行けそうだとのこと。北比良峠は人工的な巨大ケルンと松の巨木しかない、ぽっかりと開けた空間だった。下山ルートであるダケ道への入口がいまいちわからない。峠から右前方の尾根に目をやると、吹雪の中、カラフルな上着をまとったパーティが尾根を下りていく姿が見えた。峠の右手から回りこむようだ。われわれも彼らを追ってダケ道に入った。


【北比良峠〜イン谷口】
ダケ道の入口付近は、地形図でも確認できたが、左側が急なガケになっていて、滑落したらおそらく助からないだろうと思われた。疲れも出てくる頃だし、慎重に尾根を下る。樹林帯に入ると急ではあるがそこそこ歩きやすい道となった。うねうねした痩せ尾根などを通過し、アイゼンが岩に当たるのを出来るだけ避けつつ、テンポ良く下っていく。下りでも結構汗をかくものだ。次のポイントであるカモシカ台の手前だったと思うが、もう14時半を回っているにもかかわらず、ビニール傘一本を手に、空身で登ってくる単独の男性とすれ違った。にこやかに挨拶を交わしたが、大丈夫なのだろうか? 山に入ると、時折とんでもない時間にとんでもない装備で登ってくる人を見かけることがあるが、彼らはいったい何者なのだろう。今回は地元の人、関係者(笑)という結論に至ったが、上には避難小屋程度しかなく防寒着はおろか水も食料も持っていない様子だった。不思議だ。秘密の洞窟でもあるのかな?

カモシカ台で休憩していると、上からご夫婦が下りてきた。アイゼンをどこで外すか迷っている様子。Sが軽く会話を交わす。案外社交的なんだな。われわれは沢のある大山口までは付けたままの予定。カモシカ台を出発し、しばらくすると、あきらかに雪の量が減ってきた。右足のアイゼンが緩んできたこともあり、おれは先に外すことにした。泥が付着していたこともあり、普段は絶対にしないが、ザックの外に吊るすことにした。「こうやって吊るしていると、よく落とすんだよなあ」とおれ。しっかりとアイゼンのループにストラップを通してザックに固定。だべりながら下りていく。先ほどのご夫婦が道端でアイゼンを外している。大山口手前の岩陰で休憩。ザックをおろすと、二つあるはずのアイゼンが一つない。「まじで?」ザックを下ろしたときに反動でどこかへ飛んでいったかなと思い、あたりを見回す。どこにも無い。

6千円ぐらいだったと思う。十分元はとったし、あきらめようと思ったが、Sはもったいないから探してきたらと言う。寒い中、待っていてもらうのも申し訳ないなと思いつつ、空身で登り返す。地面に目を凝らしながら登るが、見当たらない。アイゼンを外した場所まで20分ぐらいか。ああ日が暮れてしまう。先ほどのご夫婦とすれ違う。「アイゼン見ませんでしたか?」と聞いてみるも、見なかったとのこと。肩を落としてさらに登る。2分後、下から「おーい、アイゼンあったぞー」と野太い声。先ほどのご夫婦の旦那さんだ。急いで駆け下りながら「ありがとうございまーす」と叫ぶ。見落としていたようだ。道の真ん中に置き直してくれていたアイゼンを回収し、Sの元まで急ぐ。見つけていただいたご夫婦もちょうどいたので、重ねてお礼を述べる。プレートが黄色い軽アイゼンなので、落ち葉にまぎれて見落としたようだ。「言ってる傍から」とはこのことである。寒い中、暗い谷間で待たせたSに謝ったかどうか忘れたが、ともかく日が暮れる前に大山口までたどり着くことができた。すまん。20分ぐらいのロスだった。沢でアイゼンとストックを洗い、イン谷口に向けて林道を下りた。朝にはなかった雪が路面を覆っていた。イン谷口でデポしておいた空き缶を拾い、比良駅へ向けわれわれは帰途についた。



写真・コースタイムなど
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蓬莱山(クロトノハゲまで):1月4日

以前から計画していたお正月雪山ハイク。天気予報によれば滋賀県は午後から雪。行ける所まで行ってみようと思い、友人Mと朝6時半に実家の最寄駅で待ち合わせた。前日に梅田の山道具屋でワカンと手袋と靴下を調達した。ワカンの購入はそうとう迷ったものの、最近の武奈ヶ岳の山行記録を見ていると必須なようなので入手した。登山靴も6年目ぐらいで、ここ最近のオーバーユースもたたり、アッパーとソールの間のゴムに隙間があり浸水の恐れがあったため、補修用グリューも購入し、前日晩に隙間を埋めておいた。


当初は、武奈ヶ岳へ坊村から登る予定だったが、正月に、かつて何度も比良山系に通っていた父親に聞いてみたところ、「初めての雪山で武奈は無謀」と即答されたこともあり、行き先を、ロープウェイという「便利」なエスケープルートのある蓬莱山に変更した。福岡で何度か雪の積もっている山には行ったことのあるものの、本格的な雪山へ行くのは初めてだったので、装備・ルート・時間など不安材料が沢山あった。おまけに正月中に風邪をひいたらしく咳が止まらない。


当日朝あわただしく実家のマンションを出た。駅に向かう途中、愛用のタオルを忘れたことに気付き気が沈む。Mからメールで少し遅れるとの知らせ。1本遅らせることにした。都会は電車が多くで便利。駅前でMと落ち合い、京都線に乗り込む。京都駅で懐かしい湖西線に乗り換え、志賀駅へ向かう。車窓からは右手に琵琶湖、左手に比叡山などが見えた。しばらくすると比叡山の奥に雪化粧をし、ひときわ目立つ比良山系が見え始めた。家族に連れられて何度も比良山へ行った幼い頃の記憶が一気によみがえった。志賀駅では我々と数人の観光客、スノーボード客が下車。


改札口に下りると、ロープウェイの職員が二人立っており、「本日営業停止」を告げていた。午後からの悪天を予想し、終日運休にしたようだ。スノーボードを抱えた若者たちはうろたえていた様子だったが、マキノあたりのスキー場に変更したのだろう、いつのまにか居なくなっていた。我々は駅前で登山の準備を始めた。驚いたことに本日のMのフットウェアはゴム長靴だった。あの黒いペラペラの普通のゴム長だ。まあ、マタギもゴム長を愛用しているそうなので、有りなのかとも思ったが、寒さでやられそうな予感はしていた。ちゃんとした登山靴を持っているにもかかわらず、あえてゴム長で来るのが、既成のスタイルを嫌いヴァリエーションを好む、昔から変わらないMの流儀なのだ。


Mが先行し何となく麓へ向かって歩き始めた。地図も無いのに何故に道が分かるのかと思いつつ追従。湖西道路の高架が見えた頃に道を間違えたことに気付く。一旦引き返してポイントである樹下神社を目指す。樹下神社正面にある道標を頼りに右へ進み徐々に高度を上げる。湖西道路の高架をくぐり、杉林の間につけられた林道を進む。40Lぐらいのザックにするつもりだったが、アイゼン・ワカン・魔法瓶・クッカー・食料・着替えなどを入れたら、結局60Lのザックが一杯になってしまった。久しぶりの重荷と風邪気味のためかなかなか足が進まない。駅から麓に向かう途中に降っていた雪も止み、徐々に天気が回復してきたようだ。とりあえず登山口まで行って見るかという感じだったが、なんとなく行けそうなので、登山口を過ぎキタダカ道に進入。


しばらくすると巨大な堰堤が現れ、足下には雪も出てきた。堰堤を右に巻き、20cmぐらい雪の積もった橋を渡り、杉林のつづら折の道を進む。前日に下りてきた人のものと思われるトレースがしっかり残っており、道に迷うことはない。長い長いつづら折の道。斜度はないが、同じ景色、同じ折り返しにうんざりしてくる。途中でスパッツを装着。雪山は道端に腰掛けられないのでザックを椅子にして装着するが、なかなか難しい。銀マットをカットした簡易座布団がザックの奥にあり取り出せない。M曰く、グリップが弱い以外、今のところゴム長でも何の問題もないらしい。


長い長いつづら折の道の風景も徐々に、杉の人工林から樹種の豊富な天然林へと変化してきた。木々の間から光も指し始め、ますます天気も良くなってきた。同時に、積雪量も増え、足がズボズボっと雪にとられるようになり、速度が落ちる。積雪5〜60cmといったところだろうか。ここまでの雪は福岡では経験したことがない。南東側斜面とはいえ、やはり比良山系は豪雪地帯なのだなあ。武奈ヶ岳の北西斜面なら即座に撤退だったかも知れない。しばらくすると、ひときわ太い立派な杉の古木が立っていた。登山地図にある天狗杉だろう。英彦山の鬼杉といい勝負だ。


斜面を見上げるとやっと潅木の立ち並ぶ尾根が見えた。雪も相当深くなり、少し前から下山者のトレースにもワカンの跡が見えていたので、休憩してワカンを装着することにした。前日の晩に固定の仕方を叩き込んでいたので、なんとか装着することができた。Mの分のワカンが無いので申し訳ない気持ちになる。実は木製のワカンが実家にあったのだが、固定するヒモもなく、固定方法も判然としなかったので持ってこなかった。Mにアイゼンの装着を勧めるも、まだ行けるとのこと。ワカン初体験はなかなか面白いものだった。つぼ足だと沈むかもしれないと躊躇しながら足を運んでいたが、ワカンがあるとトレースの上ではあるが、気軽に足を踏み出せる。沈まないことは決してないのだが、沈み具合がつぼ足とは比較にならない。特に重荷を背負っている時には効果を発揮しそうだ。


強い光の指す、気持ちの良い平場に出た。ようやく尾根に上がらせてもらえたのだ。小ピークを右に巻く。右手には比良岳・烏谷山方面が望める。雪の嵩が高いせいか、樹木の枝が顔をかすめる。Mも枝で顔面を殴打したようだ。ゴム長が心配なので何度か「大丈夫か」と聞くも「問題ない」との返事。小ピークをトラバースした先に、お地蔵さんと道標が見えた。本日初の道標だ。行き先を見上げるとロープウェイの山頂駅舎が見えた。地図によればこのあたりが「クロトノハゲ」のようだ。眩しいぐらいに光も降り注ぎ、あとは駅舎まで一気に駆け上がるだけだ。そのとき、Mから「ちょっとまって」と声がかかる。「足先の感覚が無い」。とりあえず替えの靴下に交換してみることを提案する。


トレースが新雪で埋まってしまった雪の斜面を登り、平らな広い場所にて休憩。Mは立ったまま靴下を交換。浸水したわけではなさそうだ。靴下を変えても足先の血流は戻らない様子。ロープウェイも営業していないし、今回はここで下山することに決定。凍傷になったら取り返しがつかない。靴下を替えたMはそそくさと来た道を下っていく。あせるのは分かるが、急いで下りて道にでも迷ったら大変だ。写真を何枚か撮って私もMを追って下山。高度計によれば980m地点で折り返したことになる。単独ならばまず間違いなく打見山を経由し蓬莱山まで行っていただろう。しかし、後からこの時点での折り返しが大正解であったことがわかった。


我々のつけたトレースを忠実に辿って、来た道を戻る。しばらくするとMから「つま先が下を向いているから血流が戻った」と告げられた。何とか凍傷は免れたようで一安心。途中、Mはアイゼンを装着。ゴム長の軟らかいソールに装着できるはずがないと思ったが、何とか形になっているようだ。途中なんどか外れてはいたが。アイゼンを装着しトラクションの上がったMは軽快に下っていく。今日は全く登山者に会わない。天狗杉手前の陽の差す場所で昼食をとることにした。誰も来ないので道の真ん中に銀マットを敷いてお互いのガスストーブでお湯を沸かす。私は激辛カップ麺。Mは餅入りぜんざい。待ち時間5分がもどかしかったが、なかなか美味。魚肉ソーセージとコーヒーでしめて先を急ぐ。山中では普段は食べない体に悪そうな食料が美味く感じてしまう。


だらだらと長いつづら折を下る。所々琵琶湖方面に視界が開け、海のような広くて穏やかな湖面が見える。ワカンを外し、私もアイゼンを装着。出歯の無い10本爪の軽アイゼンだ。6本爪がいかにも歩きにくいので購入したが、どうせなら本格アイゼンを買えば良かったかな。まあ、安定感があって悪くはない。往路渡った橋をMが通り過ぎたので、後ろから声をかける。下を見ていたので見過ごしたそうだ。疲れもあっただろうが、道迷いの典型パターンなので気をつけねばならない。まあまっすぐ行っても下山はできたのだが。琵琶湖の対岸に在り真っ白な威容を誇る伊吹山などを眺めつつ、麓の里を抜けて、樹下神社まで戻ってきた。蓬莱山を振り返ると吹雪きで恐ろしげなことになっている。仮にあのまま山頂まで行っていたら下山は相当困難を極めたはずだ。時間的にも厳しかっただろう。結果的には絶好のタイミングで折り返したことになった。


琵琶湖まで下り、湖畔でコーヒーを淹れ一服。丁度十年前の真夏にMと二人で琵琶湖一周のサイクリングをしたことを思い出す。なんだかんだ二人で色んなところに行ったものだ。雪も激しくなり寒くなってきたので、志賀駅に戻る。駅前に着いた頃には蓬莱山方面は吹雪きのため完全に山が見えなくなってしまった。駅舎でMが駅員から切符を購入。口は悪いが気前の良い駅員で、ゴミを捨ててくれた。接客言葉を使わないその駅員との会話から国鉄時代の駅員の対応を思い出した。マニュアル通りの接客とは違う人柄の良さを感じた。ホームの休憩所でお菓子を食べ、懐かしいカラーリングの湖西線に乗って帰宅。前日遅くまで仕事をしていたMには少々きつい日程だったかもしれない。次回はもう少し余裕を持って山に行きたいと思う。M君おつかれさま。


歩行距離:8.3km

高森山:1月1日

元日登山である。といっても出発は14時過ぎ、車で登山口まで乗りつける。父、義兄、従兄弟の夫(なんていうのか)と自分の4人パーティ。行き先は、木ノ本の裏手にある高森山(と途中にある四国山)。20年前ぐらいに父と自転車(MTB)を押して登り、ダウンヒルをした山だ。みかんとコンビニで買ったお茶を持って出発。


細く曲がった道を車で上がり、登山口に着いたときは14時半を回っていた。整備された広い登山道を4人で登る。義兄は革靴のためか滑っていたので、ストックを一本貸す。父にも貸そうかと尋ねるも、固辞された。道々、登山道脇の木々を父が説明する。シャシャンボの実を食べたが、時季が遅かったのか水気が足りずスカスカだった。


15分ほどで四国山の展望台に到着。四国山の山頂はよくわからなかった。展望台からは和歌山市街、紀淡海峡などが望めた。真下に広大な開拓地が見える。関空埋め立ての時に切り崩された山の跡地だ。宅地にしようとしたらしいが、上手くいかず、某ケチャップメーカーのトマト工場が隅に建つのみ。山二つ分ぐらいが更地になっている。昔、四国山に登った際に利用した登山口は跡形もなくなったそうだ。取り返しのつかない愚行。


四国山から高森山への縦走路の途中、イノシシのヌタ場と思われる穴があった。父はそこにあった針葉樹の大木(名前失念)を誰かが盗んだ跡だと主張。しかし山奥までわざわざ大木を盗みに来るかな。適度なアップダウンのある自然林の快適な道を20分位歩き、高森山山頂に到着(15:40)。北西方向には何度も釣りに行った大川の港が見える。さすがに元日とあってか、防波堤には釣り人が見えない。みかんを食べ、皆で記念撮影をし、下山。


しばらく来た道を戻り、縦走路途中の広場で、道を変更し、「冒険の森」コースへ。薄暗い谷間の道だ。かつてあったと思われるアスレチック遊具の部材が散乱し、荒れ果てている。道もえぐられ歩きにくい。父はこれが本当の冒険コースだと言って楽しんでいる様子。20分ほどで車を止めた場所から幾分下の車道に出た。4人でジャンケン。負けた義兄が車道を登って車を取りにいくことに。


車が戻るまで時間があるので、車道沿いの「森林公園」を散策。恐竜や動物の張りぼてが無秩序に配置された変な公園だ。子供たちが遊ぶには大きすぎるし、一体誰に向けて作られたオブジェ群なのだろう。20分ほどで義兄の運転する車が戻ってきたので、皆で乗り込み、加太経由で木ノ本へ帰還した。晩飯は焼肉だった。

福智山系縦走:11月13日〜14日(曇り晴れ)

祖母傾縦走へ向け、トレーニングも兼ねて福智山系を縦走してきた。皿倉山〜尺岳〜福智山〜牛斬山〜香春岳(三ノ岳)まで約30kmのロングコースだ。webを見ていると、一日で縦走しているハイカー(ランナー)も多いようだが、今回はテント泊縦走の練習なので、福智山直下の山小屋(荒宿荘)前でテント泊をする一泊二日の行程とした。今回は、食料もフリーズドライのものを主とし、前回の縦走時よりも荷の重さは2〜3キロ減った。


11月13日(曇り)

7:15 八幡駅 − 7:45 帆柱稲荷神社(国見岩コース登山口) − 9:05 皿倉山 − 9:45 権現山 − 10:35 市の瀬峠
− 12:40 観音越:昼食 − 15:00 尺岳 − 16:00 豊前越 − 16:40 烏落 − 17:00 山小屋(荒宿荘):テント泊
八幡駅から皿倉山登山口までタクシーに乗ろうと考えていたが、現地に来て見ると、皿倉山の麓までさほど遠くはなさそうだったので、歩いていくことにした。住宅街を抜け、高速道路の上にかかる橋を越えると、帆柱ケーブルの駅舎が見えた。事前に調べておいた国見岩コースを行くつもりだったので、駅舎へは向かわず左手の住宅街に入る。ほどなく帆柱稲荷神社の参道に入る。長い階段を登りきると朱塗りの柱が美しい社殿へ辿り着いた。社殿左より国見岩コースに入る。


朝の雑木林は気持ちがいい。国見岩コースは人通りが少ないのためか、想像していたよりも手が入りすぎておらず良い道だった。迂回路を横切る直登ルートを進む。減量化したとはいえ、やはりテント泊装備は重い。途中、ストックの故障などトラブルがあったため、皿倉山頂まで1時間以上かかってしまった。山頂はテレビ塔だらけで、見るべきものはないが、「九州自然歩道」の基点となる石碑は興味深かった。今まで散々利用してきた道はここから始まっていたのだ。北側には小倉の街並みが見渡せ、南側にはこれから向かう福智山へ至る山々が見渡せた。福智山とおぼしき山容がはるかかなたに見える。皿倉に登った達成感を味わえたので、もう終わっても良いかなと一瞬思う。


皿倉山頂の自販機で水を1L購入し、持参のボトルに移して出発。公園のような山頂の施設を通り抜け、一応縦走路上にある権現山を目指す。舗装路をてくてく歩き山頂に着く。権現山までの舗装路歩きで結構疲れてしまった。迂回しても良かったかな。権現山頂から九州自然歩道までのショートカットの下りは、道なき急斜面で、縦走開始早々面食らってしまう。九州自然歩道に入ってから、市の瀬峠までの下りも、脊振などのそれとはちがい、本当に「自然」な感じで良かった。落ち葉で覆われた急斜面を下っているうちに新しく卸したウールの靴下のズレが気になり始める。


市の瀬峠の四阿で靴下交換。いつもの使い慣れた厚手の化繊靴下に履き替える。峠の車道を少し左側に進み、カーブを曲がり込んだところに縦走路の続きがあった。ここから観音越までの道は、小ピークを登り下りをくり返す単調な道だ。ただ植林帯がほとんど無いので、日差しは少なかったが、暗い気持ちにはならなかった。ザックの重みで早くも肩が痛くなる。頻繁に休憩。腰ハーネスの調整をし、幾分肩への加重が減る。二、三人のハイカー、ランナーとすれ違う。昼を大分過ぎて観音越に到着。予想していたよりも狭く暗い場所だった。おまけにじめじめしていてあまり長居したくない。朝コンビニで買ったおにぎりとパンでさっさと昼食をすます。


観音越から尺岳の間は、今回の全行程のなかで一番きつく感じた。相変わらず小ピークの登り下り、加えて、田代分れというポイントから尺岳平までの間は植林帯の暗いパートもあり、体力的精神的に疲れた。15時前にようやく尺岳平に到着。テントが15張りぐらいできそうな広い場所だ。焚き火の跡もある。水場さえあれば絶好のテント場だろう。尺岳平にザックをデポし、尺岳山頂に寄る。山頂には大きな岩の上に祠があり、そこからの見晴らしは良かった。一瞬方角が分からなくなったが、これから行く福智山が確認できた。結構遠くて気が沈む。尺岳平に戻り、テント泊予定地の水場が枯れていた時の備えとして、皿倉山で補充した水の半分に、粉末ポカリを投入した。これで、山小屋付近にあるという「たぬき水」が枯れていたら下山せざるをえない。


尺岳平を出発した時点で15時を過ぎていたので、写真を撮るのも控え、先を急ぐ。幸いここからはアップダウンのほとんどない平坦な道だった。豊前越で一回休憩し、延々続いた展望のない樹林帯を抜けると、烏落と呼ばれる広場に出た。目の前には福智山が聳えている。ここからの登りは、斜度もきつく岩がゴロゴロしていて歩きにくいが、目的地の山小屋が近いためかそれほどきつくは感じなかった。10分ほどで、「たぬき水」に到着。塩ビのパイプからは勢いよく水が流れている。これで日暮の山道を下山しなくてもすみそうだ。思わず手ですくった水をがぶ飲みする。濁りもゴミも匂いもなく美味しい。持参したボトル全てを水で満たし、すぐ隣の山小屋へ向かう。


山小屋は予想より大きく、隣にはバイオトイレもある。日曜の夜なので当然だれも居ない。山小屋前のベンチとテーブルのある狭いスペースにテントを張ることにした。テントは張れてもせいぜい3つぐらいか。まあ、山小屋もあるし、わざわざここでテント泊する人はほとんど居ないだろうが。テントを設営し、ストーブで湯を沸かし粉末紅茶を飲む。北側には今日歩いてきた山々が見える。結構頑張ったなあ。南側は福智山の山頂。空身で行って帰ろうかと思ったが、頂からの眺めは明日の朝にとっておこう。


寒くなってきたので、テント前室で湯を沸かし、アルファ米をもどし、フリーズドライのカレーをかけて食べる。不味くはないがやはり味気ない。ウィンナーでも炒めたら美味いだろうなあ。天気予報を聴くためラジオをつける。祖母山麓ではろくに受信できなかった安物ラジオだが、ここは街に近いためか感度良好。テントからは街の明かりも見える。こんなに街に近いテント場も何だか不思議だ。天気予報によれば明日は晴れるそうだ。ラジオで日本シリーズを聴いたりしながらうとうとする。ゲームの行方を知らぬまま就寝。



11月14日(曇り晴れ)

7:20 山小屋(荒宿荘) − 7:35 福智山 − 8:15 頂吉分れ − 9:25 焼立山 − 11:05 牛斬山 − 12:20 五徳越峠
− 13:30 香春岳(三ノ岳):昼食 − 15:20 採銅所駅


5時起床。とりあえずコーヒーを入れる。寒いのでセーターと薄手のダウンを着る。朝が一番寒い。ラジオでホークス敗戦を知る。後半弱いなあ。荷物の整理やらテント撤収やらをしていたらあっという間に7時になる。水場で水補給をし、出発。一晩寝たので体が軽い。15分ほどで福智山山頂着。巨岩がゴロゴロあって意外と広い。風が強く寒いので、写真を撮って先を急ぐ。やや方角がわからなくなり、西の鷹取山方面に少し下ってしまう。山頂に登り返して、方位盤を確認し縦走路を進む。広い山頂で下山ルートが沢山あるところは案外迷いやすいのかも。コンパスを出せばいいだけの話だが。


まわりの風景は昨日とは異なり、ススキ原で見通しがいい。ススキ原の一本道をすいすい進む。ひとつ小ピークを越えた辺りから、ススキ以外の樹木も増えてきた。植生がだんだん多様になっていく過程が面白い。頂吉(かぐめよし)分岐までは、高低差もほとんどなく、明るい潅木のなかを進む道でとても気に入った。頂吉分岐からは背の高いススキなどの草木で道が覆われていて、若干の藪こぎを強いられる。朝露でぬれた草木のせいで、ズボンと靴が濡れた。


藪こぎ地帯を過ぎると、西側が人工林で東側が自然林となり、その境界の下草を刈られた防火帯の真ん中を進むことになる。赤牟田の辻というピーク手前の鞍部では、自然林が伐採され、その倒木で道がふさがれていた。テープをたよりに少し迂回。『山と高原地図』に「胸突八丁の急斜面」と記載されている急坂を登る。確かに斜度はきついが、ジグザグに登ればそれほどでもなかった。赤牟田の辻では道標を確認しただけで、休憩無しで先に進む。


最初はものめずらしかった防火帯歩きも、風景が単調でつまらなくなってくる。陽も照りだし、若干暑い。夏場だと日陰のない防火帯歩きはきついだろうなあ。赤牟田の辻から15分ほどで焼立山到着。四方に視界も開けていて気持ちがよいので、しばらく休憩。南西方向には福智町が見渡せる。霞んでいなかったら英彦山あたりまで十分見えるのだろうなあ。休憩を終え、次のポイントである牛斬山を目指す。単調な防火帯につけられた細い道ひたすら進む。小ピークの連続でなかなかこたえる。途中、「山犬の峠」という所で休憩する。犬が来たら嫌だな。逃げる気力もない。


採銅所駅への分岐を過ぎ、11時頃、牛斬山到着。山頂付近は藪が濃く、大きいザックを背負っていると進みにくかった。山頂からは香春岳の三峰がよく見えた。もっとも一ノ岳はセメント原料の石灰石採掘のため半分以下に削られていて無残な姿をしているが。山頂を後にし、先ほどの分岐まで戻り、五徳越峠方面に進む。福智山系縦走をする人たちは、牛斬山を最後(最初)の山とし採銅所駅をゴール(スタート)とするケースが多いようだ。ただ、目の前に香春岳(三ノ岳)の鋭鋒が聳えているわけなので、一応登ってみることにした。


牛斬山からの道で今日始めての登山客(中高年夫婦)とすれ違う。皿倉から来たと言うと驚かれた。言うつもりもなかったが、尋ねられたので。五徳越峠には車が二台止まっていた。一台は先ほどの夫婦のものだろう。峠で一服し、三ノ岳への登山口につながる道に入る。「岩登り」と「ファミリー」コースがあり、どちらに行くか相当迷う。荷物をデポしても良かったが、ザックに昼食の材料が入っており、仕分けするのが面倒なのでそのまま登り始めてしまった。


しばらく進むと「岩登り」と「ファミリー」コースの分岐点に着いた。祖母傾縦走では、テント泊装備で岩登りという状況もあり得ると考え、トレーニングのため「岩登り」コースを選択。しばらくすると大きな岩場の基部についた。赤スプレーで岩に矢印があるが、取り付きから苦労する。ストックが邪魔なのでザックに縛り付ける。両手両足を使っての岩登りだ。岩には樹木が茂り所々にロープもあるので、手がかりには困らないが、荷物で体がふられると若干怖い。


テントマットを丸めてザックの表面に括りつけていたので、時々、岩や木にマットが引っかかり進めなくなる。そのたびに体をひねって切り抜ける。やっぱり空身の方がよかった。しかし一旦登った岩場を下りることの方が困難なため、何とか登るしかない。高度が上がると、焼立山や二ノ岳、一ノ岳がよく見え、気分はいい。しばらく岩登りをすると広めのテラスに出た。ザックを置いて休憩。テントも張れそうな大きいテラス。水があればテント泊もありかな、などとエクストリームな考えが頭をよぎる。


基部からずっと岩登り(といっても器具が必要なクライミングルートではないが)を続け、ようやく山頂部に出る。岩でこすれて両手の皮がかさかさだ。山頂部も岩だらけで、なかなか平地にでない。まな板を立てたような岩をいくつか乗り越え、やっと標識のある広場に出た。広場の横でシートを広げ横になる。このまま眠れそうだ。湯を沸かしてラーメンを作ろうと思ったが、面倒くさいので、残っていてた菓子パンで昼飯をすます。20分ほど休憩し、下りは迷うことなくファミリーコースを選択。林道を経由し五徳越峠に戻る。採銅所駅まで一時間ほど車道を歩き、15:40の日田彦山線普通電車小倉行きに乗り帰途へついた。


歩行距離:一日目18.4Km、二日目13.7Km