室堂〜剱岳〜池ノ平〜阿曾原〜欅平 2013年8月11日〜8月17日

8月11日 福岡〜富山

今日は移動日。昨日からお盆休みに入り、夜遅くにパッキングを終えた。まず、7時10分の新幹線で新大阪まで向かい、サンダーバードに乗り換え、13時前に富山駅に着く予定。今回の山行は私のリクエストで、室堂〜剱岳欅平、4泊5日のロングコースだ。同行者は旧友のM。彼は北アルプス長期縦走の経験者だ。短パンに半袖姿で、パンパンに膨れた60Lのザックを背負い、早朝の西新駅に向かう。

3ヶ月ほど前から、筋トレと食事制限を続け5Kg痩せた。痩せたのはいいが、ザックのウエストベルトを締めると、腹の前でパッド同士がぶつかってしまい、腰に荷重分散できなくなってしまった。ザックに違和感を残したままの出発となった。新幹線は東方面への帰省客で満席だ。東京行のため熟睡もできず、新大阪で下車。在来線のホームからサンダーバードに乗り込む。ザックを背負った青年がホームに居た。大阪からだと富山へは案外アクセスがいいのかも知れない。

サンダーバードは3時間半の長旅だ。喫煙ルームもないのでかなりつらい。福井や金沢の平坦な風景を眺めながら、とぎれとぎれ眠る。京都駅で乗り込んできた隣席の若い女性は終始スマートフォンを見入っている。気分が悪くならないのだろうか。金沢を過ぎ、藤子不二雄の故郷、高岡を通過。大仏が見えるかなと左右に目を凝らすが、赤茶けたさびれた町が見えるだけだ。13時前に富山着。短パンに登山靴というアンバランスな格好で、改装中の駅舎をうろつく。

南口から出ると、こじんまりとしたコンコースのいたるところにザックが置いてある。ザックを背負った人も多い。予想通り、お盆休みまっさかりの富山駅北アルプスを目指すハイカーたちの基地と化していた。とりあえず、予約していた地鉄ホテルを探す。南口から出て、左に5分ほどで富山地方鉄道の駅に着いた。駅の上にそびえるビルが地鉄ホテルだ。2Fのフロントでザックを預かってもらう。ポーチに貴重品だけを入れて、町に出る。Mは18時前に着くそうだ。

それにしても暑い。短パンをはいてきて正解だった。駅前の「シネマ横丁」という寂れた看板に惹かれ、奥へ入る。事前に駅で観光マップをもらうべきだったが、Mの「南側が栄えている」という言葉を頼りに、短い横丁を通り抜け、灼熱のなか大通りを南下する。気がつくと県庁前の大きな噴水のある公園に着いていた。日陰のベンチではホームレスがくつろいでいる。どうやら庁舎の集まる地区に来てしまったようだ。お盆とあり、庁舎周辺の食堂は開いてない模様。

小さな川を渡り、築3年ほどと見受けられるピカピカのお城の建つ公園を通り抜け、さらに南下すると、大きな商店街に突き当たった、総曲輪という地区らしい。読み方がわからない。とりあえず、アーケードの下に避難し、食事処をさがすが、大きすぎて要領を得ない。結局、路面電車の走る大通りを富山駅方面に戻り、駅前の商業ビルへ入った。地下の食堂街に下りると、「ブラックラーメン」の看板。興味津々で暖簾をくぐる。

普通のラーメンが750円。博多ラーメンに慣れてる身としては相当高額に感じる。出てきたのは、チャーシューが2切れ入った甘めのしょうゆラーメン。久々の縮れ麺を味わいつつも、博多ならば、同じ値段で餃子と半チャーハンが付くな、などとつい考えてしまう。駅で観光マップをもらい、一旦ホテルに戻る。ネットで駅周辺の山道具屋を検索し、再び町に出る。大通りに面した一つ目の店は、こじんまりとしつつも、厳選された道具が置かれた印象の店。クライマー向けのようだ。二つ目の店は、路地に入ったところにある変わった名前の店。常連が多く居づらい。一通りひやかしてそそくさと出る。

再びホテルに戻り、シャワーを浴びて地図やガイドブックを読む。そうこうするうちにMから電話があり、フロントで合流。着ていた衣類をコインランドリーに入れ、部屋に戻る。洗濯物の乾燥が終わったあと、三度、町に出て、シネマ横丁の先にある中華料理屋へ入る。チャーハンと餃子とビールでささやかな前夜祭。ホテルに戻り、パッキングを済ませ就寝。


8月12日 室堂〜剱沢

7時に富山駅前から室堂行きの直行バスに乗り込む。ほとんどの客は日帰りのようだ。富山郊外を抜け、地方鉄道と併走しながら、徐々に山間部へ入っていく。途中の休憩ポイント「立山あるぺん村」でお菓子を購入。まるで遠足だ。谷合の道を進み、一般車通行禁止の「立山黒部アルペンルート」に入る。つづら折の道をぐんぐん登り、あっという間に高度1000mを超えた。美女平の駅を通過し、立山杉に囲まれた道を徐々に上っていく。ペラペラの樹皮が特徴的なダケカンバも確認できた。

昨年ラムサール条約に登録された弥陀ヶ原に入り、ホテルの前で客が一人下車。車窓から大日岳・奥大日岳を背景とする広大な景色が見渡せる。室堂に近づくにつれ、いかつい山々も増えてくる。立山三山にくわえ、剱岳の頭も遠望できた。9時半に室堂着。どうしてもトイレを済ませておきたいので、一服して、腹の様子をうかがう。ウォシュレット仕様の清潔なトイレで無事に済ます。水を補給し、サングラスを装着して出発。

コンクリートで舗装された遊歩道をミクリガ池方面に向け歩き出す。このあたりは、老若男女、多数の観光客で溢れかえっていた。ミクリガ池を通過し、雷鳥沢に下る。テント場は赤・黄・青・緑で埋めつくされていた。テント場奥の沢の手前で休憩。これから登る別山乗越を見上げる。結構遠い。沢を渡り、まずは新室堂乗越を目指す。途中、雪渓があり、アイゼン無しでこわごわ渡る。上から来た若者は、のろのろした我々の雪渓渡りが終わるやいなや、長い木の杖を巧みに操り、グリセードで一気に雪渓を滑り降りていった。

酸素が薄いためかすぐに息が上がる。終始Mが先行し、なんとか付いていく。新室堂乗越で一息入れ、剱御前小舎のある別山乗越に向かう。このあたりから頭痛と右腕のしびれを感じ始めた。頭痛はおそらく高度障害で、腕のしびれはザックの調整不良によるものだろう。13時半、ようやく別山乗越に到着。剱御前小舎は立派な小屋だった。九州には山小屋がほとんどないので、物珍しげに見入る。小屋前は立山方面から下りてきた登山客も多いようでにぎわっていた。北に目をやると、剱沢越しに剱岳全体が見えた。山頂部にガスがかかっているが、猛々しく黒々とした偉容に圧倒される。

ガレ場を剱沢に向けて下り、今日のテント設営地を探す。ちょうど移動したばかりと思われる空地を見つけ、ザックを下す。しばらく頭痛で動けない。Mは早々とテント設営に取りかかっている。剱を眺めつつ一服。ロケーションは最高だ。のろのろとテントを立て終えてから、管理棟を訪ね、設営料一人500円を支払う。水場は二か所あり、管理棟側の水場は塩素で消毒されているらしい。水を補給しテントに戻る。アルファ米と乾燥中華丼と卵スープで晩飯。中華丼とスープはおいしい。頭痛がひどいので、17時半に私はテントに潜り込む。

20時頃に斜め下の山岳部OB連中と思われるテントの騒がしい声で起きる。まだ頭痛はする。暗い中サンダルでトイレに行き、歯を磨く。騒がしいテントは「いいかげん静かにしてください」と誰かに注意されていた。にもかかわらず、しばらく騒がしかった。いつの間にか再び寝入る。


8月13日 剱沢〜剱岳〜剱沢

3時50分起床。空は星で埋めつくされていた。コーヒーを淹れ、お菓子で朝食。Mも起きたようだ。剱岳を見ると、すでに登山客の光の列が見える。ご来光目的の人たちだろう。我々もサブザックに水と食料とカッパを入れ、出発準備に取り掛かる。一度トイレに行くが、出ない。出発直前に再びトイレに行くと、大の方に人が列をなしていた。4つある個室のうち3つがフンづまりになり、なかなか列が進まない。結局30分もトイレの前で並び、何とかことを済ます。

待ちくたびれて、準備運動をしすぎたというMと合流し、剱岳に向け出発。途中で、食糧がないことに気づき、テントまで引き返す。なんだかんだで、5時半を回ってしまった。大きな雪渓を二回渡り、登山口にあたる剣山荘に到着。建て替えられたばかりの綺麗な山小屋だ。剣山荘を6時に出発。序盤は花の咲くのんびりとした道だ。しばらくすると鎖場が現れた。「1番目鎖場」とある。これが13番目まで続くらしい。序盤は鎖場といいつつも、鎖に頼ることなく登れた。30分ほどで一服剱に到着。一服しようと思うが、案外狭く、次々と登山客が登ってくるので、すぐに下りた。前剱手前の鞍部まで一旦高度を下げる。

眼前には存在感のある前剱がそびえている。急なガレ場をカラフルな格好をした登山客たちが登っていく。落石に気をつけつつ、ゆっくりゆっくり登る。Mは常に先行。ちょっとした鎖場を越え、7時過ぎに前剱到着。剱沢を振り返るとテントがゴマ粒のように見えた。東側の谷底には今日行くかも知れない真砂沢のテント場が見える。今度こそ一服して、いよいよ本峰に向け出発。ここから険しい岩場が続く。まずは、5mほどの鉄橋と岩場のトラバース。鉄橋両サイドは崖だが、もちろん足元だけを見て慎重に渡った。鎖のあるトラバースの途中で靴紐がほどけた。脱げたり紐を踏んづけると危険なので、トラバース途中でしゃがみこみ、サッと紐をむすぶ。どうも紐が長すぎるようだ。

平蔵の頭という岩場あたりから混みだす。Mは先行する登山客と十分な距離を保つため、しばしばストップする。危険回避策としては当然だろう。むしろ他の登山客が間を詰めすぎており、見ていて恐ろしい。私の後ろにもぴったりとくっついてくるので、距離を空けるようお願いした。平蔵の頭を過ぎ、平蔵谷最上部の雪渓を過ぎると「カニのタテバイ」だ。鉄の杭が打ち付けられ、鎖のぶらさがる垂直の岩壁に、登山客が虫のごとくへばりついて攀じ登っている。カニはタテに進めるのか?と思いつつ、基部で順番を待つ。Mが先行し軽快に登っていく。少し間を取り、自分も続く。登っている最中はジャングルジムのようで楽しかった。最後は腕の力をフルに使ってテラスに乗り上げた。

タテバイを過ぎると、山頂まで傾斜の緩いガレ場が続く。早月尾根との分岐を過ぎると、ほどなくして、山頂に到着(8時50分)。休憩込みで3時間弱の行程だ。山頂は30人程の登山客でにぎわっている。とりあえず、剱岳の看板を持って記念撮影。みんな撮ったり、撮られたり。奥の空いたスペースで腰を下ろす。眼下には八ツ峰がきれいに見える。雪渓上部にはクライマーたちのテントも見えた。360度山だらけ。初めての北アルプスなので、当然どれがどの山なのか皆目見当がつかない。しばらく呆然とし、再び写真を撮ったりして下山開始。

下山路は予想通り混んでいた。最大の難所とされる「カニのヨコバイ」手前では5分ほど待たされた。順番待ちの時が一番緊張する。上からだと裏手になるヨコバイの岩場は、先行者の動作が見えないので、自分が行くまで状況がわからない。先行者が視界から消え、いよいよ自分の番が来た。とりあえず鎖に手をかけ、予習した通りに、赤スプレーのある足場に右足を伸ばす。難なく着地できた。下は数十メートル切れ落ちているらしいが、当然見ない。後続のMに「大丈夫やで」と声をかけることで、自分の緊張も和らいだ。割れ目に足先を突っ込んで、カニのようにトラバースするわけだが、思っていたよりも割れ目の幅が狭く、足先がちょんと乗っているだけだ。ただ、5m程で終わるので、すんなりと渡れた。

ヨコバイのあとの岩場を慎重に下っていると、後ろでゴロゴロという音。振り向くと、Mが左足を伸ばして、上から転がってきたスイカサイズの岩を受け止めている。Mの後続者が落としたものだ。少し前から、威勢のいい感じの若者が後ろにいるなあとは思っていたが、ガンガン下ってきて浮石を蹴り飛ばしたようだ。その若者が焦って、Mの傍に下りてくる。「すいません。これ落としたらシャレにならない」とか何とか言いながら、岩を安定させようとする。それを見て私は、その若者の居る足場が悪いこともあり、「さわるな、ほっとけ、あんたも落ちるぞ」と声をかける。結局、ぎりぎりのバランスで落石は食い止められ、若者も転落することはなかった。おそらくその若者は、難所のヨコバイを通過し、調子に乗ってスピードをあげたせいで、岩を蹴とばしたのだろう。お調子者というか、ああいう人間が事故にあったり、加害者になったりするのかも知れない。Mが足で止めていなかったら、上りの登山客に直撃していた可能性もあったはずだ。自戒も込めて人為落石には気をつけよう思った。

平蔵の頭を登り返し、ケルンのある広場で休憩。ゆっくり下りることにする。背負ってきた1.5Lの水がここで無くなった。疲れと緊張で普段より水を多く飲んでいたようだ。剣山荘でコーラを飲むことを夢見つつ、落石を発生させないように注意しながら前剱を下る。一服剱で休憩し、一気に剣山荘まで駆け下りる。受付でコーラとカレーを注文。500円!と1000円!。強い日差しが降り注ぐテラスで乾杯。カレーはうまかったが、肉がほとんど無かった。今日は真砂沢には移動せず、剱沢でもう一泊することに決め、たっぷり休憩をとって、テントに戻った。昼過ぎに戻ってきたので、時間を持て余し、寝転んだり、水場で洗濯をしたりする。ストックを二本使って、細引きで固定し物干し場を設営。Mの助言もあり、それなりのものができた。一人だとやる気が起きなかっただろう。ロープワークを覚えねば。勢いで持ってきた重いスパムの缶詰を開け、コンロで焼く。やることもないので早めの晩飯だ。

スパムとアルファ米を食べるうちに、やっぱビールでしょ。ということになり、ジャンケンで、15分ほど下った剱澤山荘にビールを買い出しに行く役を決める。負けたので、しぶしぶサンダルでゴロゴロ道を下る。ロング缶二本を買って、小屋の主に明日下る剱沢雪渓の状況を聞いてから、テントに戻る。スパムを直火で炙りつつ、ビールを飲む。目の前には先ほど登った剱岳がでーんと構えている、という最高の晩飯だった。ちなみにザックのウェストベルトはマジックテープで簡単に調節でき、翌日以降の不安は解消された。18時頃には各自テントに入り、いつの間にか寝てしまった。


8月14日 剱沢〜池ノ平

4時半起床。昨日の教訓を踏まえ、早めにトイレを済ます。わりとテキパキとテントを撤収し、6時過ぎに剱沢キャンプ場を後にする。剱澤小屋の横から剱沢に下る。30分ほどで小滝が現れ、雪渓の最上部に到着した。真砂沢あたりから上ってきたと思われるクライマーたちの集団が、アイゼンを外していた。結構年の方が多い。クライミング系は案外年齢層が高いようだ。二人とも、簡易アイゼンを装着。私はチェーンスパイク。Mはプレートにピンの付いた軽量なもの。雪渓に入ると、若干滑るものの、ある程度効いている様子。

朝日の差し込む明るい谷に広がる雪渓を黙々と下る。Mはかなりのハイペース。私は音の無い広大な空間を全身で楽しみつつ、ゆっくりと下る。踏み抜きの危険性を叔父から聞いていたので、氷化したあやしい部分は避けて歩く。平蔵谷、長次郎谷の出合を過ぎる。上ってくる人が結構いる。雪渓の真ん中を歩く人もいれば、端を歩く人もいる。剱澤小屋で前日にもらった雪渓マップを参考に、南無の滝手前で左岸の草付きに上がる。滝上部の雪渓は傾斜がきつく、足を滑らせたら滝つぼまで一気に滑り落ちるだろう。草付きではカメラ機材を背負った2人組みと出会った。彼らも仙人峠まで行くらしい。

しばらく休憩していると、上から60才前後と見られる女性が一人で雪渓を下りてきた。話を聞けば、なんでも雲切新道が嫌いらしく、池ノ平まで行って、また室堂まで登り返すとのこと。なかなかすごい人もいるもんだ。左岸の夏道を下ると、真砂沢のテント場が見えてきた。このあたりは雪渓がズタズタに崩れており、雪渓下の沢の様子がよく見えた。あれに落ちたら、黒部川の本流まで運ばれるだろう。

真砂沢のテント場は、緑に囲まれた小さな村という感じで、上から見たときよりも雰囲気がよい。石垣で囲まれたロッジも、昨日までの立派な山小屋とは異なり、質素で好感が持てた。ロッジの主にこの先の雪渓の様子を伺う。今年は雪が多いらしく、特に危険箇所は無いとのこと。高度が下がったからか、ずいぶん暑く感じる。真砂沢を後にし、雪渓をしばらく下ると、道はゴロゴロ岩の河原に変わった。沢に下りられる場所で休憩。冷たい沢の水を頭から浴びる。非常に気持ちよい。が、このあたりからアブが現れだした。急いで虫除けスプレーを噴射。

ルートのわかりづらい河原を進み、ガイドブックにあったへつりポイント過ぎると、まもなく二股の吊橋に着いた。吊橋では先ほどの単独女性が休憩していた。沢に素足をひたすと気持ちよいが、冷たすぎて10秒もつけていられない。水を汲んで、いよいよ本日一番の急登、仙人新道に入る。草木の生い茂る里山のような道だ。普段歩いている近所の山道のようで、私は調子が出てくる。Mは若干バテ気味。心拍数が上がらないよう、ペースを崩さずにできるだけゆっくりと登る。

途中、道端の塩ビのパイプから水がチョロチョロ流れ出ており、下に置かれたステンレスのコップに冷水が満たされていた。ありがたく頂戴する。急登半ばの水場は助かる。しばらくすると地図にも記載のあるベンチ広場に出た。わずかに日陰のある側のベンチにはカップルが頭を木陰に突っ込んで休憩していた。彼らとは結局、欅平まで同行することになる。日向のベンチしか空いていなかったので、さっさと先を急ぐ。ベンチ先の斜面に木陰を見つけ、ザックを置いて倒れこむ。しばらくするとバテバテのMが上がってきた。相当参っているようで、先に行ってくれとのこと。

休憩ポイントの頭上にはブルーベリーそっくりの実がなっていて、一つ口に入れてみるが、すっぱくて吐き出す。シャシャンボの類だろうが、まだ熟していないようだ。しばらくすると、先ほどの単独女性とは別のもう少し高齢な単独女性が上ってきた。年季の入ったザックに余裕の表情。池ノ平まで行くそうだ。木陰を勧めるが、先を急ぐとのこと。元気な人が多い。Mを置いて先に出発する。一本道の尾根なので迷うこともないだろう。とにかく日陰が無いのがつらい。左手には三ノ窓、小窓雪渓、チンネなどが見える。

先ほどの高齢単独女性を追い越し、さらに、カップル、カメラマンの片割れ、雪渓で出会った単独女性を追い越した。心拍数が上がらないよう心がけるが、追い抜いた手前、なんとなくペースが上がる。早く峠に着いて休憩したい。ようやく汗だくで峠に着いた。期待していた日陰の休憩スペースは無く、ザックを放り投げて、わずかな木陰に身を横たえる。相当くたびれた。水とポカリをがぶ飲みする。峠から右手下方に仙人池ヒュッテの赤い屋根が見えた。その奥には後立山の峰々が控えている。名前は分からないものの、名のある山々なのだろう。

休息し気力を取り戻し、体操をする。しばらくすると単独女性が汗だくで登ってきた。息は上がっていない。自分のペースを崩さないよう心がけているのだろう。彼女はしばらく話すと池ノ平方面に歩いて行った。そのあとにカップル。昨日は黒部ダムからハシゴ谷乗越を越えて、真砂沢で一泊したそうだ。今日は池ノ平で一泊し、明日は阿曾原に泊まり、欅平まで行くらしい。行程が我々とまったく一緒だ。彼らを見送り、写真などを撮り、しばし待つ。なかなかMが来ない。

空身で何度か道を戻ってみるが、人の気配はない。熱中症で倒れているのかと思ったが、ようやく人の話し声が聞こえてきた。どうやらカメラマンの片割れと高齢単独女性の三人で一緒に上がって来たようだ。動画を撮りながらへろへろのMを迎える。Mは峠に着くと、自分と同じように木陰に倒れこんだ。もう動けないとか何とか口走っている。しばらくすると、つかのま寝てしまったというカメラマンの片割れと単独高齢女性が上がって来た。彼女も息は上がっていない様子。ペースを守っているからだろう。カメラマンの方はヒュッテに向かい、高齢女性も池ノ平に向かうはずだが、なぜかヒュッテ方面に下りていった。旧い巻き道があるらしい。

我々も池ノ平を目指す。予想とは異なり、緩い下りの楽な道だった。途中、山小屋の人とすれ違う。なんでもバテた客を迎えにいくそうだ。小屋商売も大変だ。背後に池ノ平山を控えた広い鞍部に質素な小屋と数張りのテントが見えた。裏剱が望め、花と池のある楽園のような場所だ。まずは小屋でテント設営の手続き。一張り600円。水とトイレは小屋のものが使える。ジュースを買って、テント場に向かう。先のカップルはすでに小屋の傍にテントを立てていた。我々は山側の広場に張ることにする。広場中央は均された砂地のヘリポートになっており、さながら土俵のようだ。

テントを設営し、遅めの昼食。私は棒ラーメン。一束では足りなく、結局2束ゆでる。小屋の従業員に小屋付設の五右衛門風呂に入れるか尋ねてみるが、宿泊客のみとのこと。風呂は明日に持ち越しだ。日が落ちる頃、裏の山から登攀用具をガチャガチャ鳴らしながら、夫婦と思われる二人組が降りてきた。どうやら池ノ平はクライミングの基地としてもよく利用されているようだ。昼飯から1時間半経って、今度は晩飯。ビールとオイルサーディン、アルファ米の五目御飯などを食べる。外にマットを出し、ストレッチなどをして就寝。暑くてシュラフなしでも寝られた。


8月15日 池ノ平〜阿曾原温泉

5時起床。テントを片づけて、カップルに記念写真を撮ってもらい、7時に出発。仙人峠まで戻り、仙人池ヒュッテを目指す。ヒュッテに着くと、小屋のおじさんが「そこにザックを置いて、奥に行けばいいですよ」と声をかけてくれる。何のことかと思いつつ、ザックをベンチの置き、指示された方へ行くと、仙人池があり、湖面に裏剱がくっきりと写っていた。逆さ剱である。紅葉の時期はカメラマンが殺到するらしい。我々も、色んなアングルから写真を撮りまくる。そうこうするうちに後発のカップルも来て、彼らも写真を撮りまくる。ひとしきり写真を撮り終え、土産でも買おうと小屋を覗いてみるが、泊まってもいないのにバッジなどを買う気にもなれず、つぎのチェックポイントの仙人温泉に向け出発。

ヒュッテ横から仙人谷に下りると、予想外に雪が残っていた。ガイドブック等で、この区間に雪渓があることは知っていたが、どうやら雪渓歩きもありそうな気配。しばらく進むと、先行していたカップルが土手の草むらにしゃがみこんでいる。女性の方が「そっちから上にいけますかー」と叫ぶ。どうやら、高巻きする道がないかどうか尋ねているらしい。左手を見上げるがそれらしきものはない。下は雪渓。前方は傾斜のきつい土手。行く手をはばまれた。しばらく考え、雪渓に下りてみることにした。雪が多いので、踏み抜く心配はなさそうだ。アイゼン無しでゆっくり下っていく。

しばらくすると、雪渓を軽快に登ってくる男性が現れた。背負子にクーラーボックスを括り付けている。どうやら小屋の従業員らしい。土手の上で行き詰っているカップルが、そのおじさんに雪渓の下り方を尋ねている。引き続き我々も雪渓の下り方を教わる。なんでも、雪渓の表面の模様をなしているスプーンでえぐったような窪みの真ん中に足を下ろし、山になっているところは踏んではならないらしい。アイゼンがない場合は踵に全体重をかけてリズミカルに下ればよいという。おじさんが実演してくれる。たしかにスピーディ。いわゆるキックステップだ。上りのキックステップは何となく知っていたが、下りの方法は初めて知った。

また、雪渓の真ん中は沢の真上なので氷が薄く、両端もまた薄いので、雪渓を三等分したときの1/3の線上が一番厚く、そこを歩くのが理想とのこと。おじさんにお礼を告げ、雪渓からガレ場に下りる。これで雪渓歩きは終わりかなと思っていたが、草むらをしばらく歩くと、大雪渓が広がっていた。ここからは、先ほどのアドバイスをもとに、自己判断でルートを決めなければならない。ところどころ夏道に上がるマークが見えるので、それを目指して、おそるおそる雪渓に乗り、1/3を意識しながら慎重に下る。後ろからカップルが付いてくる。こういう時は後続の方が得だ。何度か雪渓を渡り、ワサビ田のある夏道を下ると、泥の堆積した雪渓に出て、そこから左岸の夏道に取り付いた。

どうやら雪渓は終わりらしい。谷を見下ろすと、ズタズタになった雪渓が見える。先ほどの小屋のおじさんも言っていたが、来週あたりだと、上部の雪渓も溶けている可能性がある。スリリングだったが、貴重な体験だったのかもしれない。30分ほどハードな夏道を下ると、大岩にペンキで「おつかれ様 仙人温泉」の文字。対岸には源泉と思われる湯煙が見える。へとへとで小屋上のスペースにへたり込む。ベンチもあったが、入浴中の登山客のザックが占拠していた。迷惑!小屋でリンゴジュースを買い、カレーが食べられるかどうが尋ねてみる。昨日の残りを温めたものなら出せるとのこと。小屋主が「500円でいいよ!」と従業員に告げる。小屋に入れてもらい、ありがたくカレーをいただく。

手作り感あふれる小屋の食堂には、熊の皮が飾ってあり、「赤マムシの刺身 時価」の張り紙も。小屋主のギターを弾く名物おやじの姿も見える。ご飯は冷えていたが、具だくさんのカレーは剣山荘の1000円カレーよりもよほど食べごたえがあった。食事中には、従業員の方が、健脚自慢の客の話をしてくれた。なんでも昨日は馬場島から剱岳を経てやってきた人がいたそうだ。ちょっと信じがたいが、すごい人もいるもんだ。小屋の人にお礼を告げ、険しい下りと評判の雲切新道に向かう。右岸に渡り、源泉の横を通り、尾根のピークを目指す。

途中、ほぼ空身の若者二人とすれ違う。こんな山奥まであの装備でどうやってきたのだろう? 30分ほどで雲切新道の尾根のピークに到着。いよいよ悪名高い下りだ。仙人ダムまで高度差800mを一気に下る。心して下り始めるが、よく整備されたふかふかの快適な道だ。木陰を見つけてはこまめに休憩する。カップルや単独のおじさんなどと前後しつつ下っていく。眼前には五竜岳鹿島槍ヶ岳などが見える。長い梯子などで私は遅れをとり、下り集団の最後尾になってしまった。登るとなると気が滅入るが、予想していたよりはましな道だった。高度が下がるにつれ、ブナなどの大木が増えてくる。へとへとだったが、樹間から仙人谷ダムが見えると少し元気が出た。

下れども、下れどもMは見えない。疲れたので、今回初めて自主的に休憩をとる。ブナの大木の下で一服。暑い。樹林帯をしばらく下ると、仙人谷ダムに流れ込む沢に出た。沢の傍で、Mをはじめ、先行していたハイカーたちが皆休憩していた。20分遅れぐらいだろうか。粗末な木の吊橋を渡り、Mと合流。10分ほど休憩し、仙人谷ダムへ向け出発。この先には最後の長い鉄梯子が待っている。梯子嫌いの私としては今回最大の難所だ。ストックを収納している間に、Mがさっさと下りる。続いて私も梯子の両端をしっかり握って下降開始。必要以上に手に力が入る。予想よりは短かったが、腕の筋肉が張ってしまった。

深緑色のダム湖沿いの道を歩き、ダム施設の屋上に出る。久々に見た大規模な人工物。屋上の段差には鉄梯子が立てかけられており、ピンクのリボンが登山ルートであることを示している。ルートとはいえ、不法侵入のようで奇妙な感じだ。ダムは放水中で、轟音とともに、量感のある水が白しぶきを立てて下流に叩き付けられていた。屋上から敷地内に降り、扉を開けてダム施設内部に入る。扉の横にはハイカー向けに館内ルートが掲示されている。館内は、湿度が高く、かび臭いが、ひんやりとしていて気持ちがよい。最小限の照明が灯された薄暗くて長い通路を進む。戦争映画に出てくる地下通路みたいだ。Mとお互いに写真を撮り合う。

しばらくすると、構内の気温が上がってきた。関電職員専用のトロッコ鉄道の線路を横断。いわゆる高熱隧道だ。職員が線路に放水している。挨拶をするが返事はない。ハイカーにあまりいい感情を持っていないのだろうか。かつての廃墟好きとしては、高熱隧道付近をつぶさに見て回りたいところだが、職員に白い目でみられそうなので、そそくさと施設を出る。コンクリート製で見るからに堅牢そうな関電の社員宿舎の脇を通り、再び山道へ入る。M曰く、ここから最後の登りになるらしい。ちょこっと登ってあとは楽々道だろうと思っていたが、最初から木の梯子のある急登。雲切新道の下りで体力を使い果たした身には、かなりこたえる。木の根やロープにすがりながら、急坂をのろのろとよじ登る。20分ほどでようやく最高点と思わしきところに出た。Mが休憩している。

幅の狭い道にザックを置きしばし休憩。その間に、カップルが追いついてきた。カップルを先行させて、我々も出発。幸い、ここから阿曾原までは水平歩道の一部で、高低差がほとんどなかった。明日歩く水平歩道の一端を味わいながら、16時前にようやく阿曾原温泉に到着。小屋で設営料を払い、温泉の利用法を聞く。男女時間交代制のようだ。コーラを飲んで、小屋から下ってすぐのテント場でくつろぐ。お互い最後のテントを設営。あとから来たカップルも我々の傍にテントを設営した。ビールを飲みたいところだが、温泉上がりにとっておく。男湯時間になり、サンダルでテント場の下にある温泉に向かう。意外と遠く、道も悪い。サンダルではちょっとつらかった。3m×6mぐらいの湯船には、すでに先客が2人居た。一人はカップルの片割れ。もう一人は単独のおじさん。二人とも酒を持ち込んでいる。

Mと単独のおじさんは、単独行あるある話で盛り上がっている。自分はカップルの片割れと山の話。熊本出身らしいが、九州の山には行ったことがないらしい。ホントは近所の低山ばかり行っているが、もし行くなら九重なんかが良いですよと、一般的なおすすめをしておいた。泉質はごく普通。水を入れて温度を調節する。石鹸が使えないので、垢をこすり落とす感じではないが、4日分の汗をすすぎ、湯船で全身の筋肉を弛緩させることができ、大変気持ち良かった。後から、仙人温泉の先ですれ違った若者二人がやってきた。彼らは阿曾原をベースに仙人温泉まで空身で往復したようだ。10分ほどで上がり、テントへ戻る。小屋でビールとチューハイを買ってきて乾杯。最後のアルファ米の食事を済ませ、Mからラム酒をもらいつつ、世間話などをする。ほどよく酔っ払ったところで就寝。8・15を山で向かえたのは初めてだと思う。


8月16日 阿曾原温泉〜欅平

山行最終日。5時過ぎに起床。朝食を済ませ、4日分の汗を吸い込んだ長袖のウェアを嫌々着る。テントを片付け、7時前に阿曾原を発つ。最初は登りだ。テント場を度々振り返りながらゆっくり登る。山から離れるのが惜しいような、早く町に出たいような複雑な心境。30分ほどで水平歩道に入った。ところどころ、倒木や歩道の崩壊箇所などがあり、補修した形跡が見られる。草木に覆われていてよく見えないが、右側は黒部川まで切れ落ちた崖だ。つまずかないように終始緊張感を保ちながら歩みを進める。1時間半ほどで、最初のチェックポイント折尾ノ大滝に到着。今日もMが先行。沢で水を補給する。M曰く、先を行く初老の夫婦は、仙人谷で雪渓を踏み抜いたそうだ。結構頻発するアクシデントなのかも知れない。

折尾ノ大滝からすぐのところに、内部を通り抜けられる砂防ダムがあった。めずらしい物件なので写真を何枚も撮る。積雪時のための通路なのだろう。砂防ダムを過ぎると、徐々に崖側の草木が減り、高度感が増してきた。左側に転落防止の針金が張られている箇所もある。入り組んだ谷間を同じ高度を保ってくり抜かれた道を進むので、前方に見える場所までなかなかたどり着かない。どうやってこの難工事を完成させたのかとても気になる。大太鼓というビューポイントの手前あたりから、右手は200m以上あるという断崖が続く。道幅は1m程度はあるので、歩きにくいわけではないが、恐怖感から自ずとスピードは落ちる。左手で転落防止の針金に触れながら、忍び足で歩く。あえて写真を撮ることで恐怖感を払拭する。Mはさっさと通過したようだ。ザックが天井にぶつからないように腰をかがめて核心部を通過。

大太鼓を過ぎると精神的にも楽になり、高さにも慣れてきた。というよりも、麻痺してきた。次のチェックポイント志合谷は、吉村昭『高熱隧道』によれば、泡雪崩で宿舎が対岸まで吹き飛ばされたという場所だ。急峻な志合谷は、遠目には雪渓で道が塞がれているように見える。どうやって突破するのかと思っていたが、雪渓の下にトンネルがあった。ヘッドランプを付けて、5cmぐらい水の溜まったトンネルに入る。雪渓の真下だからなのが、とてもひんやりしている。150mあるというトンネルは、途中で右に曲がっていて、出口の光が見えない。寒さを覚えたあたりで、ようやく出口が見えた。

志合谷を過ぎると、あとはひたすら水平歩道を欅平に向けて歩くのみだ。手掘りの短いトンネルをいくつか通過し、昼前にようやく水平歩道の終点、鉄塔のある広場に着いた。下からは欅平駅の放送が聞こえてくる。_Mが先行し、一気に駅まで下る。足元はもうふらふらだ。50分ほどで駅の裏手に出た。登山口にはロープで結界が作られており、入山注意を促す看板が立てられていた。一般観光客の安易な入山を防ぐためだろうか。その結界が日常と非日常の境目のように思われた。我々は結界の山側にザックを下ろし、しばし放心。目の前は家族連れの観光客で賑わっている。5日分の汗の滲み込んだ我々の衣服からはただならぬ異臭が漂っていたことだろう。ここをベースキャンプにし、これからなすべきことに取り掛かることにした。

とりあえず、宇奈月までの切符を取る係、フードコーナーで食料を買う係を分担することにした。私は食料係になり、店の前の列に並んだ。期待していたおにぎりは売り切れのようだ。切符係のMの方が先に役目を終えて来た。なんでも、17時半の切符しか取れなかったそうだ。予想していたとはいえ、駅舎以外なにも無いこの空間で4時間以上時間を潰すのは苦痛だ。さらに、今日中に福岡、東京へ帰宅することは難しくなった。フードコーナーで天ぷらそばを買い、先ほどのベースキャンプに戻る。そばをすすりながら、今夜の宿を探す。宇奈月の宿は満室の模様。東京へ帰るMにとって、宇奈月から先の宿泊候補地としては魚津がベストチョイスになる。私としては富山でよいので、往路に使った地鉄ホテルを推す。

結局、私のプランが採用され、富山の地鉄ホテルに予約を入れた。そばの食器を店に返却し、ぶらぶらしていると、山から下りてきた単独女性と件のカップルの女性が立ち話をしている。カップルの女性から呼び止められ、「切符どうされましたか?」と聞かれたので、「17時半しかとれませんでした」と答えると、単独女性が「今日帰らないとダメなんですと窓口で強く訴えれば取れるかも知れませんよ」という。ダメ元で窓口で交渉してみる。あっさりと「次の列車に乗ってください」と言われる。急いでMの元に戻り、「あと4分だ!」と急かす。

写真を渡したかったので、件のカップルのザックに連絡先を書いたメモを挟んで、改札の列に並ぶ。定刻になっても、列が進まないので、おかしいなと思い、駅員に聞くと、もう出ましたとの返事。どうやら次の電車の列に並んでいたようだ。落胆し、窓口で再び交渉。なんと今度もすんなり次の次の便の切符がとれた。リラックスシートの代金はパーになったが、仕様がない。最初にMに対応した駅員は一体何だったんだろう? そもそもトロッコ電車の一般席は単なる長椅子を並べたものなので、定員などあってないようなものだ。駅員の勘と、途中駅からの乗客数の情報を頼りに人数調整しているのだろう。

今度はぬかりなく改札を済ませ、鉄道模型のようなオレンジ色のかわいらしい動力車に牽引された、窓のない客車に乗り込む。おそらく四人がけと思われる長椅子に我々はザックを股に挟んで座った。もう一人乗れそうだが、誰も乗ってこないので、結局二人で専有してしまった。宇奈月まで70分の長旅だ。風が通り抜けて気持ち良い。黒部渓谷に沿って、風光明媚な景色が次々と展開する。ただ我々はもっと剥き出しの自然を見てきた直後でもあり、車窓から見える山の名前が気になる程度で、とりたてて感動することも無かったように思う。

宇奈月に到着し、地方鉄道の駅舎まで歩く。時刻表を確認すると、次の電車まで40分ぐらいあるので、駅前の喫茶店に入った。古くからやっていそうなその店は、山の客が結構多いようで、話好きな女将さんが「どっから降りてきたの?」などと色々聞いてくる。会話をするうちに、「富山までの切符、まだ買っていないのなら、株主優待券があるからゆずるよ」と言われた。半額になるのでラッキーだった。喫茶店のコーヒーとソフトクリーム代が浮いた。女将さんにお礼を告げ、ガラガラの地方電車に乗り込み、ボックスシートに座る。お互い足を伸ばしながら、窓から過ぎゆく立山の峰々を見送った。妙に赤い太陽が富山湾に落ちていった。 了