武奈ヶ岳 2013/1/3(晴れ曇り時々雪)

【家〜イン谷口】
やや過剰なパッキングを終え、ひさしぶりの実家の部屋で布団に潜り込んだのは午前1時過ぎだった。去年の正月にも計画していた厳冬期の武奈ヶ岳山行を今年も計画しようと思ったのは、12月のはじめだった。友人のMT(以下T)、MS(以下S)と何度かメールのやり取りをし、こちらが作成した山行計画書を一方的に送りつけた。Tは去年正月の蓬莱山の同行者だったが、色々な事情が重なり撤退した経験がある。そのためか、今回の計画には乗り気では無い様子。どうしても冬のブナをあきらめきれなかったので、山行日を2日に分け、1日目にS(奥秩父および北アルプス一週間単独行や冬の八ヶ岳経験あり)とブナに行くことにし、2日目にTとSと自分の三人で別の山(剣尾山)へ行くことにした。Sもその計画を了承してくれた。

山行日当日は予定通り5時に起床。就寝前から気になっていた悪天時の別プランの登山届作成や荷物の整理などをしていると、あっという間に朝の貴重な時間を消費してしまった。朝食もとらず8キロ前後の装備を背に、登山靴を履き、暁闇をついて駅まで走る。途中で遅れる旨を電話で伝えようとも考えたが、今回の山行の発案者かつ形式上のリーダーとして、初手から計画を破綻させるようなまねはできないと思い、全力疾走した。券売機の前に着いたのは発車時刻の2分前、慣れない券売機の操作(先に行き先をタッチする方式)にまごつきながらも、なんとかホームにたどり着いた。予定通り前から2両目に乗り込み、ロングシートに腰を落とすが息の乱れは収まらない。今日のために蓄えた体力の1/3ぐらいを使ってしまったようだ。

2駅目で乗り込んできたSは予想外の軽装備に見えた。28Lのザックにワカンとアイゼンケースを括り付けている。60Lの自分のザックがばからしい。ツエルトはこちら持ちとはいえ、パッキング効率が悪すぎる。ザックの容量が、帰省グッズ込みで60Lになってしまったのは仕方が無いが、雪山での機動性を考えれば、日帰りの場合、理想的には30〜40Lに収めたいところだ。Sの服装を一瞥する。丁寧にオイルが塗りこまれ、きつめに締め上げられた革の登山靴。見たことの無いブランドの黒のアウター。道具好きのSらしい。次の乗り換えポイントの京都までは、ひさしぶりに地元の言葉で、他愛の無い話をした。京都駅では4分しか乗り継ぎ時間が無いため、ザックを背負った登山客らしき人を追って、足早に湖西線に乗り込んだ。ボックス席に座って朝食代わりの菓子パンをかじる。長いトンネルを抜けると右手に朝日を湖面に映した琵琶湖が見えた。電話でタクシーを予約しようとするが、営業所が違うと言われ上手く行かない。Sがスマホですばやく連絡先を見つけてくれ、無事予約が取れた。

比良駅で下りたのはわれわれ二人と先ほど京都駅で姿を追った単独の登山客ぐらいだった。駅前の小さなロータリーに予約したタクシーが停車していた。名前を告げ乗り込む。先ほどの登山客はタクシーとは別方向に歩いて行った。車窓からブナ方面を見上げるが、明らかに去年より雪の量が少ない。年末の雨で溶けたとの情報は得ていたが、予想以上のようだ。15分ほどで登山口にあたるイン谷口に到着。駅前で買った缶コーヒーを飲んで比較的ゆっくりと準備をする。GPSの電源やら何やら色々めんどくさい。電子機器はできるだけ少ないほうがいい。つき詰めれば、時計もラジオもガスも持たないサバイバル登山スタイルになるのだろうか。コーヒーの空き缶をデポし(帰りに回収する予定)、登山届を提出して出発。Sから「おれ遅いから」と告げられる。「いやいやおれはもっと遅いよ」。中間着がいまいち定まらないまま当日を迎えてしまった。結局薄手のフリースの重ね着し、暑ければ一枚脱ぐ方式にした。


【イン谷口〜金糞峠】
2004年に比良山スキー場が廃止されて以来、人があまり入らないためか、イン谷口あたりは荒廃していた。案内標識も倒れたまま、雑草も延び放題。かつてあったロープウェイとリフトが無くなったため、冬季の武奈ヶ岳は難易度が格段に上がったらしい(幼い頃に親に連れられて登ったときには、リフトで上がる人々を見上げながら、「なんで歩いて登らなあかんねやろ」と思ったものだ)。いざというときのエスケープ手段が無いため、常に早めの行動と適切な撤退時期の判断力が求められる。イン谷口駐車場に5台、林道をしばらく上がったところにも5台ぐらいの車が停まっていた。子供連れもいる。正月3日から冬山に来る物好きは結構いるもんなんだな。砂防ダムのある沢を右手に見ながら正面谷とよばれる緩い傾斜の谷間を登って行く。雪は無いものの、気温は低く風が冷たい。背後から射す朝日に照らされ、冬枯れの木々の輪郭が際立つ。

予想に反して、比較的天気は良いようだ。山頂までもってくれればいいが。下山ポイントの大山口を過ぎ、徐々に高度を上げる。林道が完全に山道に変わったころから、路面に雪が目立ち始めた。雪は寒気に冷やされて凍り付いている。先行していた5人パーティの若者に追いついたので、間を空ける意味も兼ね、鋼鉄製の巨大な砂防ダム横で休憩。休憩後、沢をやや高巻きする感じで谷を詰める。金糞峠に至る今回のルートの核心部、青ガレの少し手前でアイゼンを装着。スパッツとアイゼンの装着順を間違えたりしながら、なんとか久しぶりに鉄の爪を足下に配した。おれは6本の軽アイゼン。Sは前歯のある10本。

朽ちかけた小さな木橋を渡って、青ガレとよばれる露岩帯に取り付く。赤スプレーで大きく矢印が示されているので迷うことは無いだろう。雪はほとんど無いが、凍り付いて滑るので慎重に行こうとSに声をかける。途中振り向くと琵琶湖がはっきり見えた。10分ほどで露岩帯はあっけなく終了。左にトラバースしつつ、高度を稼ぐ。左手上部には堂満岳にいたる堂満ルンゼが見える。あの絶壁をラッセルしながら登る人たちもいるらしいが、遠目にはとても登れそうにない。途中、ピッケルをカンカン鳴らしながら威勢よく上がってくる若者二人に道をゆずる。彼らのザックにはヒップソリが括りつけられていた。あれで雪面を下ると気持ちいいだろうなあ。雪の若干深くなった最後の急坂を汗を垂らしながら登りきると、吹きさらしの金糞峠に出た。

時間もまだ余裕があり天気も良い。「ん? 行けるんちゃう?」お互いに意思の確認をする。前日の天気予報は曇り一時雪というものだったので、今回はブナ登頂は無理だろうと考えていた。ラッセルとワカンを経験して、適当な場所で撤退するつもりだった。が、予想外の好天と雪の少なさ。あっさり金糞峠に着いてしまった。こうなると俄然ピークを目指したくなる。われわれは風の強い金糞峠をいち早く後にし、次のポイントであるコヤマノ岳に向かった。


【金糞峠〜山頂】
一旦沢に下り、右手に延びるトレースを忠実にたどる。丸太二本を橋桁とする貧弱な木橋を一人ずつわたり、コヤマノ岳への直登コース入口に立つ。道なりの方向を指す「武奈ヶ岳一時間半」という案内板もあるが、われわれは「武奈ヶ岳最短一時間コース」の看板に従って右折し、杉林の急坂に取り付いた。こちらは明らかに冬道だ。道なりコースは中峠にいたる夏道だろう。普段近所の低山で慣れている杉林の急坂をゆっくりと登る。途中の急斜面で先ほどの5人パーティが休憩している。地形図によればもうすぐ二つコブの小ピークがあるはずだが、そこまで持たなかったのは何かあったのかなと思いつつ、彼らを抜かす。

小尾根に上がると、雪の重みのせいだろうか、葉を下にペトン垂れたシャクナゲが群生していた。天気は良いが、ますます体感気温は下がる。急登で汗をかいたので汗冷えもしてきた。気がつくと前髪に垂れた汗が凍り付いていた。歩くたびに汗ツララが額を打ち冷たい。二コブ目の小ピークで小休止。魔法瓶のコーヒーで一服。先ほどのパーティが追い抜いていく。「下りですか?」、いやいやさっき会ったでしょと思いつつ「今からです」と答える。間を空けて出発。コヤマノ岳までのだらだらした登り。しかし、あたりは自然林に変わって、橅の木も目に付くようになり、今日一番の青空。ずっと先行していたSの先を行く。雪質もフカフカに変化し気分も良い。時折、堂満岳、蓬莱山などを振り返りつつ、軽快に登る。Sは若干バテ気味の様子。

コヤマノ岳のピークは小さな標識があるだけで、通過点に過ぎなかった。ピークの少し先でSが手袋を着替える。冬山装備のなかで予備手袋の重要度はかなり高い。凍傷にならないよう冷たく感じたら、すぐに新しいものと取り替えるべきだ。稜線に上がるとますます天気は良くなってきた。Sが先行し、橅の美林をハイペースで進む。緩い下りにさしかかった頃、眼前に武奈ヶ岳のなだらかなピークが姿を現した。マッチ棒のような山頂杭に向け、稜線を歩く人々の姿がはっきりと確認できる。雪化粧をしているものの、間違いなく幼い頃に見た、お椀をひっくり返したような草原のピークだ。

一度鞍部に下りて、最後の急坂に取りかかる。えぐれた山道の両脇にはしっかりと雪が積もっていて、トンネルのようだ。雪で道の嵩が増したためか、潅木がザックや頭部に引っかかり歩きづらい。先行するSを尻目にたびたび振り返り、来た道の写真を撮る。ピークが近いためか急坂も気にならない。いつもピークの手前はこんな感じだ。登るのがもったいないような、早く行きたいような。稜線に上がると10名ほどの先客が山頂にいるのが見えた。西南稜方面からもぽつぽつと登山客がやって来る。われわれも寒風のなか、ちょっと左にカーブした最後の稜線を進む。Sに「着いたねえ」と言ったかも知れないが、具体的に何を言ったのかは忘れた。あっけなく着いてしまった。


【山頂〜北比良峠】
山頂で寒そうに肩を並べる地蔵や、昔は無かったように思う山銘の記された山頂杭などを写真に収めつつ、しばらく四方を見渡す。晴天ではなかったが、それなりに眺望は利いた。次々とやってくる登山客や風裏で食事の準備は始めている人々のなかで、どこか落ち着かない。二人とも腹が減っていたが、行動食を口にし、一服したら下山することにした。見晴らしが良いと評判の西南稜を経由して、坊村に下るプランに変更することも考えたが、坊村方面からガスが上がってきて、下りる気がしない。予定通り八雲ヶ原方面に下ることにした。山頂杭の前で登山客に記念写真を撮ってもらい山頂を後にした。山頂にいたのはおそらく15分ぐらいだったろう。一気に鞍部に下りて、八雲ヶ原分岐を左方向に進む。

木に括りつけられた小さな道標やトレースがあるので迷うことは無かった。八雲ヶ原手前のスキー場跡の上部に出た頃に、一瞬横殴りの雪に見舞われた。だだっ広いゲレンデ跡をトレースを頼りに下って行く。ヒップソリが欲しいところだ。このあたりでせっかく持ってきたワカンを試そうかとも思ったが、早く飯が食いたいという想いが勝り、言い出さなかった。長いゲレンデ跡を下りきると、広い雪原に出た。黄色いテントが一張り。木立のなかで何人かが休憩している。われわれも食事に適当な場所を探す。全面凍結しているヤクモ池の手前にある岩のテーブルで昼食をとることにした。岩に腰掛けたものの、寒くてなかなかコンロを出す気が起きない。一服してザックから各々のろのろとコンロや食料を出す。湯が沸くとそそくさとカップ麺に注ぎ、別々の方向を向いて食べる。岩の配置上、向き合って食事をする感じでもなかった。Sから東京土産の饅頭をもらう。甘いものがありがたい。食後のコーヒーを流し込んで、早々とパッキング。隣のパーティはカマクラ作りにいそしんでいるようだ。

北比良峠に向け、先行するパーティに続いて出発。水路沿いの冗長な坂を黙々と登る。いままで先行し勝ちだったSがなかなか来ない。おれは調子が出てきて、先行パーティを追い抜いてしまった。気になるので停止し、先ほど抜いたパーティに道をゆずる。しばらくすると右足を庇うようにSが上がってきた。足を上げると股関節が痛いとのこと。コヤマノ岳手前でもそのことは耳にしていたが、ここにきて症状が悪化したようだ。時間的に余裕はあるものの、雪山だけに天候の悪化が気になる。ゆっくり行こうと声をかける。時折振り返りながらペースを落として登る。

明日の山行は無理かもしれないなあ、それより動けなくなったらどうしようかなあ、などといった不安が頭をよぎる。携帯で救助要請か? 幸い(本人はずいぶん辛かったろうが)最後の登りを終え、北比良峠までたどり着くことができた。下りは足をあまり上げることなく歩けるので、何とか行けそうだとのこと。北比良峠は人工的な巨大ケルンと松の巨木しかない、ぽっかりと開けた空間だった。下山ルートであるダケ道への入口がいまいちわからない。峠から右前方の尾根に目をやると、吹雪の中、カラフルな上着をまとったパーティが尾根を下りていく姿が見えた。峠の右手から回りこむようだ。われわれも彼らを追ってダケ道に入った。


【北比良峠〜イン谷口】
ダケ道の入口付近は、地形図でも確認できたが、左側が急なガケになっていて、滑落したらおそらく助からないだろうと思われた。疲れも出てくる頃だし、慎重に尾根を下る。樹林帯に入ると急ではあるがそこそこ歩きやすい道となった。うねうねした痩せ尾根などを通過し、アイゼンが岩に当たるのを出来るだけ避けつつ、テンポ良く下っていく。下りでも結構汗をかくものだ。次のポイントであるカモシカ台の手前だったと思うが、もう14時半を回っているにもかかわらず、ビニール傘一本を手に、空身で登ってくる単独の男性とすれ違った。にこやかに挨拶を交わしたが、大丈夫なのだろうか? 山に入ると、時折とんでもない時間にとんでもない装備で登ってくる人を見かけることがあるが、彼らはいったい何者なのだろう。今回は地元の人、関係者(笑)という結論に至ったが、上には避難小屋程度しかなく防寒着はおろか水も食料も持っていない様子だった。不思議だ。秘密の洞窟でもあるのかな?

カモシカ台で休憩していると、上からご夫婦が下りてきた。アイゼンをどこで外すか迷っている様子。Sが軽く会話を交わす。案外社交的なんだな。われわれは沢のある大山口までは付けたままの予定。カモシカ台を出発し、しばらくすると、あきらかに雪の量が減ってきた。右足のアイゼンが緩んできたこともあり、おれは先に外すことにした。泥が付着していたこともあり、普段は絶対にしないが、ザックの外に吊るすことにした。「こうやって吊るしていると、よく落とすんだよなあ」とおれ。しっかりとアイゼンのループにストラップを通してザックに固定。だべりながら下りていく。先ほどのご夫婦が道端でアイゼンを外している。大山口手前の岩陰で休憩。ザックをおろすと、二つあるはずのアイゼンが一つない。「まじで?」ザックを下ろしたときに反動でどこかへ飛んでいったかなと思い、あたりを見回す。どこにも無い。

6千円ぐらいだったと思う。十分元はとったし、あきらめようと思ったが、Sはもったいないから探してきたらと言う。寒い中、待っていてもらうのも申し訳ないなと思いつつ、空身で登り返す。地面に目を凝らしながら登るが、見当たらない。アイゼンを外した場所まで20分ぐらいか。ああ日が暮れてしまう。先ほどのご夫婦とすれ違う。「アイゼン見ませんでしたか?」と聞いてみるも、見なかったとのこと。肩を落としてさらに登る。2分後、下から「おーい、アイゼンあったぞー」と野太い声。先ほどのご夫婦の旦那さんだ。急いで駆け下りながら「ありがとうございまーす」と叫ぶ。見落としていたようだ。道の真ん中に置き直してくれていたアイゼンを回収し、Sの元まで急ぐ。見つけていただいたご夫婦もちょうどいたので、重ねてお礼を述べる。プレートが黄色い軽アイゼンなので、落ち葉にまぎれて見落としたようだ。「言ってる傍から」とはこのことである。寒い中、暗い谷間で待たせたSに謝ったかどうか忘れたが、ともかく日が暮れる前に大山口までたどり着くことができた。すまん。20分ぐらいのロスだった。沢でアイゼンとストックを洗い、イン谷口に向けて林道を下りた。朝にはなかった雪が路面を覆っていた。イン谷口でデポしておいた空き缶を拾い、比良駅へ向けわれわれは帰途についた。



写真・コースタイムなど
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